(表現再考)Aルート王道純正律でモーツァルトのK331トルコ行進曲付きを弾いてみる [純正律(Just Intonation)]
というわけで、これです。
音源は勿論(笑)、この音律の設定が可能なカシオの電子キーボード(WK-500)。今日は、モーツァルトの時代に良く使われていたであろうA=432Hzのピッチでやってみました。
まずはイ長調の変奏曲主題
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禁則5度など出現せず、全く問題ないことが分かります。
つまり5度と3度を両方純正にすることができる訳です。どちらも犠牲にすることは無いわけです。
次、、、、もう時間ないので(汗)、はしょってイ短調変奏です。前半だけ楽譜貼っておきます。
腕も無いのでここから2重録音してますが(やっと操作覚えたw)、それでもミスってますのであしからず。
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これも問題ないですよね?
で、次の楽章(メヌエット)のトリオ楽章の後半の出だしでB-F♯の禁則が出てきたりするのですが、ここです。
ここは「p(ピアノ)」ですし、F♯音は内声だし、誤魔化しが効くんじゃないですかね。
トリオ後半の9&11小節目でG7の和音が出てくるのですが、これです。
ここはG-Dではなく、ちゃんと第1転回にしてD-Gの4度にしてます。
同後半23小節目でGDの危ない(?)箇所がありますが、
ちゃんと同時打鍵を避けてます。気になる人は低音を早めに離せば問題無いですよね。裏拍だし次が跳躍音程ですから。
最後のトルコ行進曲は、イ短調→ハ長調→イ長調→嬰ヘ短調→イ長調・・と、めまぐるしく転調します。ですので、禁則5度(GDやBF♯)は若干出てきます。例えばこのハ長調に転調した12小節や14小節でのGの和音。
ですが、ここは所謂「空5度」ではなく、ちゃんと1オクターブ離してますし、間にB音も入れてます。
(追記)k331のイ長調ソナタは通常「トルコ行進曲付き」と呼ばれているので、もしかしたらトルコ行進曲は「後で付け足された」可能性もあるのか、と推測してます。音律に非常に忠実で音の使い方も保守的な第1楽章&第2楽章に比べて、終楽章のトルコ行進曲はめまぐるしい転調を繰り返す大胆な曲想であり、あたかも「音律の限界に挑んだ」ような雰囲気を感じます・・・一方で、「この音律では聴くに堪えない」という意見も出ましたので(泣)、次の記事で短調側音階の修正案も書いておきました。
ともあれ、私はこのK331の作曲過程では、多かれ少なかれ、このAルートの王道純正律を「意識」せざるを得なかったのではないかと推測している次第です。(余談:昔、「作文は最初の1ページだけはとにかく綺麗な字で内容を懇切丁寧に書いて、次のページからはそうでなくてよい」的なことを授業で聞いた覚えがあるのですが、どうもこの曲の書き方(曲の進行に従って、次第にこの音律が不適合になっていく様)も、それに通じるものがあるのかな、とも思ったり。)モーツァルトの作品は同主調転調するものが凄く多いので、基本的にこの同主調転調可能型純正律を多少なりとも意識していた(少なくとも曲の最初の方では適合するように配慮した)のではないか、と思えてならない訳です。さらには、古典派の音楽は基本的に純正律ベースで分析するべき、と考えます。なので、以前考えていた「モーツァルトの想定音律はウルフシフト型ミーントーン」というのは間違いだったのであろう、一度白紙に戻す必要があるなと反省している今日この頃です。
そんな訳で、ミスだらけのへろへろ演奏になってしまいましたが、トルコ行進曲(繰り返しなし)のAルート王道純正律での演奏音源です。
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いやぁ音律の世界って本当に深いですねぇ(しみじみ)。
(0705表補足)コメントレス [質疑応答]
前回記事のコメント欄より
REIKOさん、コメント有り難うございます。
>2・3楽章はいくら何でも禁則に引っかかりすぎで、しかもそこを「繰り返す」箇所が多いのが致命的です。
・・・少なくとも1楽章は「和音的には」OKってことですよね?
>(2楽章のトリオ14・15小節、3楽章の5・6小節、10・12小節など)
・・・私も3楽章の禁則は気になったので、今後、禁則和音につき、「ピタゴラス長3度」的性質があるか研究する余地があると思っています。つまり、「ピタゴラス長3度」はあの比率をちょっと代えれば「耳障り」感が大幅に改善されるじゃないですか、バロック時代の各種調律法に表現されているように。それが「禁則五度和音」も同じような性質を有するのであれば、ちょっとだけ「調律」すれば良いことになりますよね。
>kotenさん、耳は大丈夫ですか????!!!
>第1楽章・・・旋律論うんぬん
・・・私、ミーントーンのウルフ五度が「全く恐くない」レベルになるまで耳を鍛えた(笑)ので、大抵の和音は大丈夫なんですよ、、、12ETの「精確」な和音以外なら(爆)
で、この耳&音感って「昔の人」に結構近いのではないか、と何気に自負してるのですが(笑)。第1楽章の「狭すぎ」る二音も気にならないです。ただ、確かに禁則和音はそのままでは少し耳障りだと思います。
一方、REIKOさんだって、未だ「純正短三度」が『広い』とか『高い』とか感じていらっしゃるんでしょ? おあいこですって(爆)
>検証に使ったk.331のMIDIは、どなたかが「手弾き入力」した、音楽的にも非常に良い演奏のものです
・・・12ETや「均された音律」に準拠した演奏って私「信じて」ないです(爆)。純正律には「それ用」の演奏法やテクニックがあると思っています。
>やはり純正律を適用して良好な鍵盤曲を探すとしたら、ルネサンス~バロックあたりじゃないんでしょうか・・・。
モーツァルトの周囲の人、つまり古典派の「無名」の人の鍵盤楽器曲を弾いてみると良いんじゃないですかね。余りにシンプル(単純)過ぎるんですよ。均された調律では「直ぐに飽きる」と思うんですよね。 普通の人は「だから、そんな曲は弾く価値がないんだ」って言うんでしょうけど、私は逆に「だから、そういう曲はもっと(究極的に)原始的(プリミティヴ)な音律を使うべきなんだ」って思っちゃうんですよ・・・私、間違ってますかね?
で、そんな時代背景&環境の中、モーツァルトの鍵盤楽器曲がヴェルクマイスターのような「均された」音律でしか弾けないような曲であるならば、サリエリとか当時の作曲家が「どうしてあいつだけが神に特別に愛されているんだぁぁぁぁ!!??」などと嫉妬しないと思うんですよね。
総じて私が言いたいのは、人間の耳(というか脳?)は、調性&和声音楽演奏に最も向いてないあの12ETでの演奏でさえ、「美しい」って感じることができるわけですよね、、、、ならば、純正律についても単に「慣れ」の問題なのではないですか、ということです。今まで純正律での鍵盤楽器曲の演奏なんて全く聴いてこなかった訳ですから。
例えば私なんて、ミーントーンの狭い5度が「自然だ」って感じることができるまでに3年以上かかったんですよ。純正律の「凸凹な音階」が自然に感じるまでにも相当かかったし。そんなもんじゃないですかねぇ、人間の耳(脳)なんて。
REIKOさんが純正短三度を「広い」と感じなくなったときでも同じ感想ならば、そのときはもう少し素直に耳を傾ける所存です・・・でもたぶん、未だゴネてる可能性ありありですが(爆)。
(深夜追記)
REIKOさんがそれでもどーしてもこの音律ではイヤだ!!(ぷんすか) というのなら、例えばこのような妥協案があります。
急いで作ったんで大分汚いですが。謂わば「半分キルンベルガーⅡ純正律」ですね(笑)。
要するに禁則で気になるのは専らGDの部分ですよね。ならばここを緩和すれば良いだけのこと。もっと妥協するのなら左側はミーントーン5度を4つバラすことまで出来ます(謂わば「半分ミーントーン純正律」(笑))。
でも、こんなにどんどん妥協して(均らして)いくと次第に「ロマン」が無くなって行くと思いませんか?(笑) できるだけ耳の方も「慣らす」努力もしましょうよ、ということで。
(さらに追記)再度よく考えてみると、もっと妥協した「半分ミーントーン純正律」って可成り「正解」に近いのではないかと思えてきました。つまり、右側の長調構成音は思いっきり純正度を高くするが、左側の短調構成音はほどほどにする、、、これって(専ら長調曲「偏愛」であり短調曲は殆ど作らなかった)古典派音楽のあり方を「象徴している」ような気がします。
長調曲で同主調転調して短調に行くことはあっても、それはあくまで一時的「飾り」的なものであり、それ故に同主調転調してもその主和音に純正短三度が無くても構わない、、、、この考え方は「アリ」じゃないですかね。ルネサンスやバロックでは純正短三度がある音律を使ったので短調曲が多いが、古典派では短調曲は殆どない、その理由は古典派時代に一般的だった音律に純正短三度が無かったから・・・こういう論理展開もアリですよね。
ううむ、そうすると、今後は「半分ミーントーン純正律」も研究する必要ありか・・・際限なく広がっていくな研究対象が(爆)。
(0704補足)先ほど「半分ミーントーン純正律」での演奏を試しました。GDの禁則5度は全部解消され、かつ半音階も「均されて」ますので、(少なくとも一般向けには)非常に良好かと思われます(ここまで崩してもイ長調の主要3和音の純正は依然として維持されています)。ただ人によってはF→F#の半音階が気になる場合があるかも知れませんので、その場合はFを少し下げるかF♯を少し上げればよいのではないかと。F♯を上げた場合はB-F♯の禁則も少し広くなりますので、悪い5度が幾分緩和されると思われます(但しF♯は「ラ」音なので、ここをいじるとⅣの和音の純正が崩れますが)。
(0704表追記)
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余談:米国独立記念日の今日7月4日、米国の大銀行が「生前遺言」を出しましたね、、何ともはや。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120704-00000035-jij-int
「円滑な破綻処理へ「遺言」=米欧金融9社が提出、万一に備え」
・・これって「万一」が起きることを「事前通知」しているような気がするのは私だけでしょうか?(汗)
これに関する今日の「ひとりごと、ぶつぶつ」さんの記事は興味深いです。
http://satoru99.exblog.jp/18536807/
中全音律vs純正律の調律バトル(スカルラッティのニ短調mソナタK.1の巻) [純正律(Just Intonation)]
というわけで、時間もないので早速up
まずは「酷い和音」対決(笑)ということで、ノーマルミーントーンのウルフ5度から(爆)
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これに対するは(王道)純正律(Dルート)の2カ所の禁則5度
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で、演奏。まずはノーマルミーントーンで
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演奏内容(ミス、よれよれ、変なところでのブツ切り等)はともかくとして、まずは安心して聴ける響きと言えましょう。
(余談:ゆっくり弾いて録音し、再生時に早くするカシオキーボードでの操作、今回ようやく覚えましたw・・トリルが「不自然に速い」のはこのためです、あしからず(汗)・・・だってじっくり練習してる時間ないんだもの(泣))
では、(王道)純正律だとどうなるか? 純正短三度の美しさが際立つか、それとも禁則五度で全てを台無しにするか?(笑)
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さてさて、禁則5度の箇所、聞き分けられましたでしょうか? 解答は明日以降ということで(笑)
スカルラッティも同主調転調の曲が多いし、何よりイタリア人なので、どうも純正律指向が強いように感じるのですが、どんなものでしょうかね。
それではまた!
「修正純正律」という発想法~中全音律との架け橋~ [純正律(Just Intonation)]
【序論】
某音律情報書籍によれば、鍵盤楽器の世界では、純正律の思想は「中全音律によって初めて具体化された」ものであり、純正律は「Ⅱの五度が破綻しているため使い物にならない」とのことである。これが現代音楽社会における「通説」であり「常識」であろう。
ふむふむ、それでは両音律の純正音程構成数(その他)を調べてみると?
(王道)純正律 vs ノーマル中全音律(1/4s.c.)
純正長三度 8 (←互角→) 8
純正短三度 6 無し(純正-5.5セント ←大敗)
純正五度 9 無し(純正-5.5セント ←大敗)
P短三度 3 無し
--------------------------
広い五度(セント)+20 +36.5(大敗)
最も狭い五度 -22 -5.5(←勝ち)
・・おいおい、最も狭い5度で勝つのは(そのために案出されたのだから)当然として、純正音程で張り合っているのは純正長三度だけで、他はことごとく「大敗」(退廃?w)しているじゃない。これってどうにかならないの? っていうか、そもそも「ここまで崩さないと純正律の思想って実現できないの?」と、音律研究している人であれば一度は考えたことがあるのではないだろうか。
また、ミーントーンの5度は、純正から約5.5セント狭い幅であり、この5度の唸りが「人間の耳にとっての受忍限度ギリギリ」だとされている。それゆえに、「これってまるで『奇跡』みたいだよね、ああよかったね」と考える人も多いのではなかろうか。一方で、人によっては、この5度でも場合により「耳障り」と感じる人も結構いるのではないだろうか?
ミーントーンの世界では、この5度の値を純正に近づけるには、シントニックコンマ分割の1/4の値を1/5、1/6・・と(分割数を大きく)していくしかない、と考えられている。だが、この分割数を大きくするに従って、「最後の砦」だった純正長三度が「あれよあれよ」という間に純正から遠ざかっていき、それでも決して純正五度にたどり着くことはなく、それどころか最後には何と!、、、、『あの音律』に辿り着いてしまうのだ。あぁ何と言うことだろう! 神は我々人間を見捨てたのだろうか?
(休憩)
【本論1】
少し前の記事でこの表を公開した(クリックで拡大可能)。
例によって急いで作ったため、純正音程数に数え間違いがあるかもしれないが、それはこの際大した問題では無い。重要なことは、太字で書いたように、昔と今とでは、「常識」と「論外」が全く逆転してしまっている、ということだ。
もう少し詳しく書くと、いわゆる「エントロピー」論で喩えると、この表中で最もエントロピーが低そうな(すなわち秩序性、ポテンシャルエネルギーが高いなどの)音律が言うまでも無く「純正律」であり、逆に最もエントロピーが高そうな(つまり雑でこれ以上「崩せ」そうにもない、ポテンシャルエネルギーが全く無さそうなどの)音律が『あの音律』つまり12ETな訳だ。これも論を待たないであろう。
で、昔は12ETは普通の音楽家にとって本当に「全くの論外」音律であり、純正律が「常識」音律だった訳で、これに対して現代は完全に状況が逆で12ETが「常識」、純正律は「論外」音律に追いやられてしまった訳だ。
これが何を意味するかというと、昔の人は純正律を「出発点」として物(音楽その他)を考えていたのに対して、現代人は12ETを出発点でしか物を考えられなくなっている、ということである。
そして、これは音楽その他のあらゆる側面に影響を与えることになる。言うまでも無く「音律設計」などの面でも極めて重大な影響を与える。
どういうことかと言うと、現代人は「常識音律」である12ETを出発点として音律設計等しようとする。少し前の私もそうだった。そうでない場合でも、常に平均律との「偏差」の値を意識することをいわば「強要」される。
これに対して昔の人は、純正律を出発点として音律設計できたはずなのである。だってそれが当時の人の「常識音律」であり「体に染みついていた」音律なのだから。
で、ここで良く考えて欲しいのだが、12ETを出発点として音律設計する場合と、純正律を出発点として音律設計する場合とで、「どちらが良い音律ができそうですか?」、「どちらがより苦労しそうですか?」ということである。
言い換えると、ある曲に対して、12ETを出発点として「想定(ないし最適)音律」探しする場合と、純正律を出発点として「想定(ないし最適)音律」探しする場合とで、「どちらが早く正解に辿り付けそうですか?」、「ゴールまでの道のりはどちらが楽そうですか?」ということでもある。
【本論2】
ここで話をミーントーンに戻す。結論から言うと、ミーントーンを修正する場合に「ミーントーンを出発点」としている限り、「それ以上の純正な音律」にたどり着くことは非常に難しいものと思われる。要するに低次元の世界から高次元に行くようなものであり、それには「発想の飛躍」が必要だからである。
これに対して、ミーントーンを修正する場合に、それよりも次元の高い音律である「純正律を出発点」とすると、今まで全く思いもよらなかったヴァリエーションが次々と得られるのだ。おそらく昔の人は、このくらいのことは直ぐに思いついただろうと考えられる。
まずはこれ
微少(1セント)修正(ないし「変形」)の例である。
純正律から純正短三度と純正五度が無くなることになるが、誤差は僅か1セントである。純正律サイドで見ると純正音程が長三度8個だけになるので「まるでミーントーン」音律、「多大なる損失」音律、「こんなの『修正』じゃなくて明らかに『改悪』だろ!(ぷんすか)」音律といえるが、ミーントーン側から見ると「頑張れもうすぐ純正律!」音律とも言うべき内容になっているのである。なお、純正律側から見ても、狭い禁則5度が3セントほど緩和されていることが分かる。
しかしながら、この修正は如何にも中途半端なので、実用に供された可能性は低そうである。
では次はどうだろうか?
4セント修正の場合である。
この五度は言うまでもなくヴァロッティやヤングで使う1/6ピタゴラス・コンマ狭いものである。故にミーントーン5度よりも格段に「耳障り」感が少ない。にもかかわらず、ミーントーンと同様に純正長3度が8つ確保されているのだ。これは一体どうしたことか? 純正律サイドから見ても、禁則5度が12セント改善されて-10セントとなっている。つまり、キルンベルガーⅡの-11セントよりも良い値であり、しかもキルンベルガーⅡと違ってAEは-4セントの「絶対安全圏(笑)」である。
この音律のさらに特筆すべきところは、純正律の大小全音構造(のニュアンス)がそのまま残されていることである。つまり、ヴェルクマイスターⅢのように、ハ長調曲でドレ(CD)の幅がレミ(DE)より「狭い」ということにはならないのである。
このレベルになると、俄然使いたくなって来ないだろうか?
こうして、純正律からミーントーンへのいわば「過渡期」的な音律は、純正律をちょっとだけ修正する試みによって実に簡単に得られることが分かる。「逆だとこうは行かない」ことは、ミーントーンの修正を試みたことのある人なら自ずと分かるであろう。
このように、純正律を出発点とし、5度の値を適宜調節することにより、純正律の音階基本構造を可能な限り保持しながら、無限のヴァリエーションを得ることができるのだ。逆に、最初にシントニックコンマの修正値を決めて(つまり「我慢ができる禁則五度の音程」を見つけて)、その修正値を5度に適宜反映(しわ寄せ)させていくこともでき、この場合もヴァリエーションは無限である。 正に純正律は「宝の山」と言える。
これは純正律からピタゴラス音律への「過渡期」的な音律を作るための修正(変形)例である。具体的には、「長三度は「ほどほど」で良いけど出来るだけ沢山の五度で純正を維持してね。でも純正律の音階構造(ニュアンス)は残してね」という一見とんでもない(?)注文に応えるための修正といえる。
この例では、長三度がヴァロッティやヤングと同じ純正+6セントとしつつ、禁則5度は6セント改善され、ラの値も若干高くなって幾分歌いやすくなっていることが分かる。ヴァロッティやヤングと同じ長三度を確保しつつ「表の調」の五度も出来るだけ純正にするなんて、ちょっと普通では思い浮かばないのではないだろうか? しかもヴァロッティやヤングでは純正+6セントの最良長三度が「3つ」しかできないけど、この音律なら何と「8つ」出来るんですよ、8つ!(あ、イカン、つい口語調になってしまった(汗))
以上、駆け足で述べてきたが、「純正律は宝の山」という感覚が少しでも伝われば幸いである。
コメントレス [純正律(Just Intonation)]
REIKOさん、コメントありがとうございます。
若干順番を変えて回答させていただきます。
>普通に使われる「純正律」という言葉が、このような「本物の」純正律と、「12(他の数でもいいですが)音に限った」純正律の両方を含むことに、最近のEnriqueさんの記事を読むまで、うかつにも気づいていませんでした。
私は最初から意識して使ってますよ。ちなみに「本物の」純正律を指向した分割鍵盤付きの鍵盤楽器については名著(笑)「古楽の音律」に比較的詳しく解説されてます。
12音固定による「12JUST」よりも響きが美しいシステム(仰られる「本物純正律」、ここでは「ダイアトニック音程変動の純正律」と呼ばせていただきます。)があるのは勿論知っているし、鍵盤楽器も昔は実はそのようなタイプも存在していたのです(「古楽の音律」に「16,17世紀にはそうした楽器もいろいろ制作されていた」と、ちゃんと書いてあります。「音律研究」されるのであれば、いいかげん「古楽の音律」くらい買いましょうよ(笑)、「名著」なんだから!)。一応証拠写真(?)載せて起きます(クリックで拡大可能)。
そして、これについて著した(またはこれらの基となる)理論は、(オイラーの論を待つまでもなく)ヴェルクマイスターのもの(1691年の「音楽調整法」)と考えられているようです。(つまりヴェルクマイスターは、「均された音律」だけでなく、ちゃんと純正律の研究もしていた訳です、当然ですが。)ただ、ヴェルクマイスターは、(「実用的観点」からでしょうけど)、1オクターヴ当たりの音を20個に絞っています。(「古楽の音律」では「選抜的純正律音階」と説明されています。) バンの「完全鍵盤」では、この20音から2音を間引いた18音仕様のものになっています。(※ヴェルクマイスターがバンの18音に2音を足した(つまりヴェルクマイスターの理論がバンの鍵盤に基づいて作られた)、というのが正確なようです。)
(この図を見ると、所謂「D調」を弾くために白鍵の内の「D鍵盤」だけは所謂「特別分割仕様」になっています。ですので、以前にEnriqueさんが仰っていた「純正律ではA音を上げるのではなくてD音を下げるのが正式である」旨は、この意味で正しいと考えられます。)
ここまでを総括すると、ミーントーンの異名異音を実現するためではなくて、「ダイアトニック音程変動の純正律」を実現する「ための分割鍵盤」を備えたものが(田中正平氏の純正律オルガンを待つまでもなく)歴史的にちゃんと存在していたということです。この楽器によれば、当然ながら、前の表に示した純正律(12Just)よりも沢山の純正音程を奏でられます。
>昔の人の常識音律であり、体に染み付いていた「純正律」とは、12音に限った(鍵盤用の)純正律ではなくて、音高が自在に調整できる声楽等による純正律ではないですか?
「音高が自在に調整できる声楽等による純正律」というのはあくまで「後の時代」に出来た「システム」ですよね。「原始的なもの」、「根源的なもの」ではないですよね。
「原始的なもの」、「根源的なもの」は何ですか? ということです。 これに関し、私は、まずは純正律での基本スケール(ドレミファソラシド、ドレミ♭ファソラ♭ラシ♭シド、)の音程関係(単純整数比)が「原始的なもの」、「根源的なもの」と考えています。(で、その次がいわゆる「派生」音。)
>「論外」でも何でもありません。
では逆にお聞きしますが(笑)。
何故に「一般向け」の電子鍵盤楽器では、純正律はおろか他の古典調律でさえも一切プリセットされていないでのでしょうか、何故に「高級機種」の電子鍵盤楽器や電子チューナーでさえも純正律(12JUST)は「歪められた構造」でしかプリセットされていないのでしょうか。
何故に我々のような「下の者」(つまり他に本業を持った一般社会人、音楽については単なる一愛好家の「趣味」人)が、純正律(12just)でも適用可能な鍵盤楽器曲やギター曲を探し当てて発表するような事態が生じているのでしょうか。(これって本来「上の人」のやるべき仕事では?(本当、これこそ「ぷんすか!」ですよ、全く(笑)))
このような「社会現象」は、純正律、少なくともREIKOさんの言われる「12JUST」が現代社会では「論外音律」として扱われているからではないのでしょうか?
そして、「12JUST」でさえ体得していない人が、それの発展形である「本当の純正律」を使いこなせるのでしょうか? つまり、「12JUST」って「本当の純正律」の『基礎』なのではないですか、ということです。これについては後述します。
>上の表には「本物の純正律」への言及がありません
私がupした表は「鍵盤楽器」用の音律ってことは分かりますよね? ジョビンとかヴェルクマイスターとかキルンベルガーとか書いてますし。
次に、私の表は、「12鍵盤用」のものってことも分かりますよね? これは、「今はこのレベルの議論にとどめておきたいから」です。分割鍵盤を前提にすると「話に収拾がつかなくなるであろうこと」くらいはわかりますよね?
だから早く気づいて欲しいんですってば、「音律」には政治的な『陰謀』が沢山あるってことに。(音楽関係者の「上の人」はおそらく殆どの人が知ってるはずですよ。)
>太陽系の図表に、惑星をたくさん載せておいて、太陽が無い
私の認識では、「純正律」における「太陽」はルート音です。
>12音に限った純正律を12Justとすれば、本物の純正律と12Justは全く「別物」です。
私はそうは考えません。REIKOさんの仰られる「12Just」は「本物の純正律」の『基礎』であると考えます。言い換えると、「本物の純正律」は、「12Just」の『延長線上にある』、と考えます。
さらに言うと、たとえ「本物の純正律」を想定して作曲された曲であっても、まず最初に「12Just」の構成音を使用してから「本物の純正律」の音を使用すると思います。それが「本筋」、「王道」だと思いませんか? (勿論「例外」曲もあるでしょうけど)。
>純正律で歌う古楽系の声楽団体や、純正律でハモれる一部の楽器をやっている人から見れば、12Justなんて12の固定された音しか使えない可哀想な鍵盤楽器の、それこそ「論外音律」だと言うでしょう。
私はそうは全く思いません。「むしろ逆」だと思います。なぜなら、純正律で歌う「ことのできる」古楽系の声楽団体や、純正律でハモれる「ことができる」楽器奏者の方が、「12Justの音程」が「如何に重要な音程であるか」、「現代社会においてこれを体得することが如何に大変か?」を心から、それこそ身に染みて分かっていると考えられるからです。
そして、上述のように、「12Justの音程」にアクセスすることが「実質的に禁止」されている現代社会において、純正律で歌う「ことのできる」古楽系の声楽団体や、純正律でハモれる「ことができる」楽器奏者って一体どのくらいいるのでしょうか?
>(「醜く切り取られた」とは正に言いえて妙だと感心しましたが)
・・・誰ですかね、こんな表現されたの?(爆)
「西洋音楽を全否定する表現」としか思えないのですが(汗)
>kotenさんはその12Justが、かつて常識だった「純正律」だと誤解していませんか?
・・だから、私の使う「純正律」の用語は、分割鍵盤をも考慮して使っているつもりです。
>なぜなら長い期間、音楽は圧倒的に声楽中心で、「12Justで歌う」なんて考えられないからです。
・・・これが例え事実だったとしても、「12Justの構成音の範囲内(の和音)で作られた声楽曲が存在しない」ってことにはならないですよね。
「12Justの構成音の範囲内で作られた声楽曲」は『音楽』ではないのですか?
>後からボチボチ登場してきた鍵盤楽器は、本物~は実現不能
・・・否です。上述した通りです。やろうと思えば二段鍵盤楽器でだってできるはずです。
>12音だけを使ってる時点で、すでに本物の純正律を修正してる
・・・何言っているんですか? 「修正」なんてしてないでしょ、使用する音を「限定」しているだけでしょ?
>12Justなんてどれも、あちこちが破綻している醜いつじつま合わせの世界
・・・「あの世」に行った時に、もしもバードやパーセルやショパンやベートーベンなどに会えたとしたら、これを面と向かって堂々と言えますか? 私には恐ろしくてとても言えませんわ(汗)
>そんな中で「純正音程の数」など競っても、どんぐりの背比べでしかないと思います。
・・・これ、とてもREIKOさんの発言とは思えないのですが(汗)
総じて、モーツァルトで折り合いが付かないのであれば、ハイドンのハ長調変奏曲あたりから入った方が良いのかな、とも感じてます。ハイドンの後期作品はマニアの間では「キルンベルガーⅡかⅠ」との専らの噂ってことですよね。例えば「プレ・インヴェンション」の56曲目に載っているハイドンのハ長調変奏曲、これの後半の(アウフタクト小節入れて)4小節目の頭の和音、これって「勝負和音」じゃないんですかね。
音楽的には「D」の和音を使いたいのに、主題、第1変奏、第2変奏と一生懸命「我慢」してるんですよ(笑)。
で、次の第3変奏では、裏拍に「おそるおそる」入れてるでしょD7の和音を。
そして第4変奏でついに「禁則」を使うんですよ。同時打鍵は避けてますけどね(←なので禁則「的」D7和音とでも言うべきか?)。可成りキワドイ響きです。
これを理解して「正当に評価」してあげないと、ハイドンが可哀想だと思いませんか?
(念のため、私はこの曲の「想定音律」が王道純正律であると言いたいのではないです。あくまで「勝負和音」論です。 第5変奏でB♭和音が沢山出てきますので、むしろ「王道」は不向きで、既存音律ではキルンベルガー音律が妥当とみてます。おそらく「KBⅡ」ならマニアの間では「誰でも納得」で、白鍵が完全純正律であるKBⅠでもOKなのか? が争点になるのかと、そんな気がしています。)
修正:
すみません、以下の記述は消しました。
その1:
>前に記事で取り上げたマッテゾン、マールプルク、その他の人が提案した「純正律」は、何故に(ドデカゴン以外の)「音律関係書籍」に記載されていないのでしょうか?
(消した理由:ケレタート著「音律について」上巻第21頁に少しだけ解説されてました。ただ、巻末の音律一覧表をみると、調律替えしないで使う音律であるかのような誤解が生じますね、これだと。あと、巻末の「注」を見ると、マッテゾンの音律が1719年、オイラーの音律は1729年となってます。)
その2:
>市場に出ている音楽関係(音律関係書籍以外)の本で「禁則五度」という用語を見たことがあるでしょうか?ある場合でも、その意味を解説している本が存在するのでしょうか。(5度の禁則といえば、「平行五度の禁止」くらいしか書かれてないのではないでしょうか。そして、その「禁止理由」について説明されている本があるのでしょうか?)
(消した理由:これ議論すると泥沼化しそうなので止めました。)
純正律で弾ける「鍵盤楽器」曲シリーズ~ネーフェのCanzonet~ [純正律(Just Intonation)]
カシオWK-500での生演奏、公共投稿サイトデビューです。
http://www.youmusic.jp/modules/x_movie/x_movie_view.php?cid=6&lid=9030
後半ちょっと「チェンバロ弾き」(←変なアーティキュレーション)になってしまいましたが、まぁ「下の者」(笑)のご愛敬ということで。
補足情報としては、この曲ではF♯音が使われていないので、電子楽器一般にプリセットされているハ長調純正律(12JUST)で大丈夫だと思います。(G♯、C♯なので「王道」型だと音外れになります。)
楽譜は「プレ・インベンション」(全音、日下部憲夫編)を使いました。この「プレ・インベンション」は、各種純正律(12JUST)或いはKBⅡなどで弾けそうな曲が結構あって、「掘り出し物」的な感じがしている今日この頃です。例えば、バッハの兄弟の中では「フリーデマン」が最も評価が高いみたいですが、この曲集中の彼の曲を純正律で弾いてみて、その理由がやっと分かったような気がしました。
サイト中の説明で「後半7小節目などは非常に巧みな音の進行で思わず感心した次第」というのは、この部分です。
目茶苦茶上手いですよね。このように「高音Aを弾き終わった直後に低音Dを弾く」というパターンが3カ所ほどあります。「Dm」と書くべきところは6カ所くらいあるんじゃないですかね、、、これぞ正に「確信犯」?(笑)
参考に楽譜写真貼っておきます(コードネームは全部は書いてないです)。
Gルート王道純正律での再録up~リュバルスキーの「うた」~ [純正律(Just Intonation)]
以前にミーントーン調律の生ピアノ演奏音源upしたリュバルスキーの「うた」につき、その後の追跡?調査によりGルート王道純正律で問題無く弾けることが判明しましたので、公共投稿所にupしてきました。
http://www.youmusic.jp/modules/x_movie/x_movie_view.php?cid=6&lid=9035
声楽の知識には乏しい私ですが、「歌心」の方はそれなりにあるでしょ?(爆)
思うに、純正律は最も敷居の高い音律ですので、この音律が適用できることが判明した場合、できる限り録音して一般公開するのが作曲者の名誉のためにも必要かな、と感じてます。
今回は、昨日の投稿とネット上での古楽関係情報(最近はミーントーンの音程を出す練習をしている声楽の人がいるが、、、、旨)をヒントにして正解に辿り付けました。有り難うございます。
というわけで、器楽曲で「歌(うた)」的なタイトルが付いている場合(特にシンプルな小品の場合)、純正律の適用可能性を「疑(うた)」がった(笑)方が良い気がしている今日この頃です。
サイトだと楽譜写真が小さいので、ここにも貼っておきますね。
いやぁ本当、純正律曲のネタが有り過ぎて困っちゃいますわ(汗)
雑感(クラシックギター発表会を一OBとして聴きに行く、2012年版) [クラシックギター]
もう大分経つが、6月30日に某大学のギタークラブの公開部内発表会があったので、OBとして聴きに行って来た。
プログラムは全5部構成で全て独奏、出演者が45名程度だった。
新入部員の数は(去年ほどではないが)今年も可成り多く、21名が演奏した。
今回も全員が暗譜演奏で、しかも運指等を忘れてパニクる人が一人もいなかったのは素晴らしく、特筆すべきと思った。
・・・だが、だがしかし(汗)!!! 「演目」におけるここ数年のクラシック離れは目を覆うばかりの悲惨さである。
今回は45演目中、
ルネサンス曲:ゼロ
イギリス民謡:1名(アメイジング・グレイス)
バロック曲:かろうじて1名(パッヘルベル)
古典派の曲:ゼロ
ロマン派~近代曲:3名(タルレガが1名、アルベニスが1名、バリオスが1名)
の5名である。
残りは何かというと、現代曲(ヨークや佐藤弘和氏の曲)、ポピュラー曲(主に西洋のヒットソング)、ジブリ音楽、さらには「ゲーム音楽」であり、カポタスト使用者も相変わらず目立った。
別に現代曲が悪いと言いたいのではない(むしろヨークや佐藤氏の曲は、現代のギターの特性を最大限に活かすべく作られており感心する)が、この「クラシック曲離れ」は余りに酷すぎないだろうか?
いたたまれなくなった私は、思わず翌日のOBメーリングリストへの報告でこう書いた。
「これはおそらくウチのみならずクラシックギター業界全体の問題と思われます。
私見では、12等分平均律の使用を止めて、クラシック時代に使われていた音律を
復活させない限り解決しない問題と感じます。」
と。
私は12等分平均律フレット・ギターを「ドロップアウト」した身であり、このような音律のギターで古典派やルネサンス曲(つまり調性・和声音楽の「王道」曲)を弾いた場合の「つまらなさ」、「味気なさ」を心から知ってしまった者なので、もはやこう訴えるしか手立てが無い。家庭を持つ身では、昔のようにサークル室に指導しに行ったり、定期的に「弾き回し大会」をすることもすっかり出来なくなってしまった。
古楽の演奏CDが当たり前に聴けるようになった現代では、皆が12ETの「おかしさ」に気づき始めてしまったのではないか。今やポピュラー曲でさえ長三度を使わない「パワーコード」が流行っているではないか。そう、「今の若者」が悪いのではない、クラシック曲に興味を持てない彼らを責めるべきではない、彼らは「正しい」のだ、「自分に正直」なだけだ、「自分が使っている音律に忠実」なだけなのである。
あぁ真面目に書いてしまった。でも本当、生命力に溢れる若者が元気いっぱいに奏でる「綺麗な和音」、「力強い旋律」、「王道の音楽」を聴いてみたいのですよ私は。
プリセット短調純正律でも弾ける! スカルラッティのソナタK61 [純正律(Just Intonation)]
こちらです。
http://www.youmusic.jp/modules/x_movie/x_movie_view.php?cid=6&lid=9047
要点はサイト中に説明しましたが、補足するとすれば、スカルラッティ作品ではカークパトリック番号の若いソナタが「特にあやしい」(笑)ってところでしょうかね。こういった「原始的」な感じの曲が多いんですよ。
ただ、この曲のようにいわば「極限まで?派生音を使わない」曲は、スカルラッティのソナタ中では珍しいケースと言えますね。
ともあれ、長大な曲でありながら「プリセット短調純正律でも大丈夫」ということで、結構貴重な曲と言えるでしょう、これは。
0716ヒントの解答補足(三連休特別企画w)バンの「完全鍵盤」を解明する [純正律(Just Intonation)]
純正律論がヒートアップしていることもあり、折角なので、ここらで一つ「純正律用」分割鍵盤論などを。
先日書いたように、「古楽の音律(東川清一編、春秋社)」によれば、鍵盤楽器の世界では、(ミーントーンでなく)「純正律で演奏するための」分割鍵盤を付けた楽器が16,17世紀に色々制作されていた、ということでした(67頁)。
で、その中でも、ヨハン・アルベルト・バン(Joan Albert Ban, 1597/1568-1644)が考案したといわれる分割鍵盤(の仕組み)が、現在の音律関係資料として有名、というか(おそらく)我々が書籍を通じて知ることのできる唯一のもの、と思われます。
J.A.バンは、ハーレム生まれの聖職者で、音楽理論家、作曲家でもあり、自ら考案した下記図(クリックで拡大可能)による特製チェンバロの鍵盤を「完全鍵盤」と呼んでいた、とのことです。
で、解説の前に、こういうのは、まずは自分の頭で汗かいて(もがき苦しみ唸りながらw)考えるのが極めて重要と考えられますので、この記事(ページ)では基礎情報の提示だけで終わりにして、次のページ以降で徐々に(出来るだけ勿体振りながら(笑))明らかにして行く形式とするのが良い(多くの人がハッピーになれる)かな、と思われますので、そうします。
まず、上記図(写真)だと、上鍵盤になるほど数字が見えにくくなるので、鍵盤に書かれている数字等を転記します。
白鍵に付されている数字等(左側から)
C:3600
D:3240
*D(上側特製):3200
E:2880
F:2700
G:2400
A:2160
H(♮):1920
C:1800
これは写真からでも判読可能かと。次です。
下側の黒鍵に付されている数字等(同上)
♯C:3456
♯D:3072
♯F:2592
♯G:2304
b :2025
これも目の良い人は判読可能かと。で、次が非常に読み辛いんですよね(写真もピンぼけだし(反省))。
上側の分割黒鍵に付されている記号と数字(同上)
×C:3375
×E♭:3000
*F:2560
×G:2250
*b:2000
以上です。とりあえずは、記号「×」、「*」の意味も含め「ノーヒント」で考えていただければと。まぁ、「考える」というよりは、専ら「計算する」作業と「確認する」作業が殆どなのですが。
(読者の方へ御願い:万一、私の書いた数字に転記ミスがある場合はご指摘ください。このミスがあると「全てが台無し」になりますので(汗))
補足:疑り深い私としては、最初「何だよこれ、何が「完全鍵盤」なんだよ? 全くもって良く分からん(ぷんすか!)。これっていわゆるディスインフォメーションじゃないの!?」と思っていたのですが(正直、「古楽の音律」中の説明を読むと却って頭が混乱した(汗))、長年の(?)苦労の末ついに解読出来たときは、「こっ、これは何て凄いんだ、おおおおぉ、凄い、凄すぎる、、これは超感動もの!!」と、自分の中での心証が180度ひっくり返りました(笑)。このように、じっくり時間をかけて解読作業するだけの「価値」は十分あると思いますので、まずは是非自力で解読(する努力を)していただければと思う次第です。
それでは皆様、良い連休を!!
----ちょっとだけヒントが欲しい方へ------------
第1ヒント:
記号「×」は「♯♯」つまり「ダブルシャープ」です。
記号「*」は「対応関係」を示します。
-----------------------
(19:20追記)
----もう少しヒントが欲しい方へ-------------------
第2ヒント:
第1の壁:まずは、数字は何を表しているのか、数字の意味は何なのか? を考えてみましょう。
----あとほんの少しヒントが欲しい方へ-------------------
第3ヒント:
第2の壁:ある意味「最大の壁」かも(汗)・・・白鍵の配置はどうなっているのか?を確認してみましょう。
---ヒントを小出しにcent、もとい小出しにせんといてや~(泣)とお嘆きのアナタに(笑)----
最後のヒント:
第3の壁:何故に「♭(フラット、変音)」キーがないのか? を考えてみましょう。
---(ネタばれ注意!w)完全鍵盤攻略講座風レジュメ解答-------------
第1の壁:この数字の意味は何なのか?
⇒ 周波数比ではなく、「弦長比」(周波数比の逆数)である。つまり、この数字は、「1本の弦(モノコード)をどの位置で分割して振動させるか」を表すものといえる。
第2の壁:白鍵の配置を調べよ
⇒白鍵の配置における「従来の常識」を捨てて考えよ!
このバンの鍵盤楽器では、下鍵盤によるCとDからなる音程は、通常の純正律と同じ周波数比8:9による大全音・・・「ではない!」(←な、何と、こっ、これは!!) これに「気付け」ば、あれよあれよという間に答えが導き出されるはずだ。(人間、「気づき」が全てであるw。) ただ、黒鍵は下鍵盤より上鍵盤(分割された小鍵盤)の方が「音程が高そう」なことが一目瞭然なので、鋭い人なら「白鍵もそれと同じなのでは?」と推測できるかも知れない・・・私はナカナカこれに気づけなくてねぇ(よよよ泣き)
第3の壁:何故に「♭」キーがないのか?
⇒ダブルシャープキーが「♭」キーの代わりになる(つまりシャープキーより約42セント高くなる)からである。
純正律演奏における音階のピッチ変動の問題に関する考察 [純正律(Just Intonation)]
固定音程楽器「専」wである我が身としては正直、この問題は余り書きたくなかったのですが(汗)、純正律についての議論(論争?含む)が余りにもヒートアップしてしまったことと、この問題は、純正律を学習する上で「避けて通れない道」であることは確かだと思いますので、一音律学習者としての私見を述べたいと思います(あくまでも私見です(汗))。
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要点:
第Ⅱ(レ)音か第Ⅵ(ラ)音か?~バンの「完全鍵盤」は正しいのか?~
→西洋音楽史上「大問題」だった第6音の音程
実は「(超?)裏技」を使えば出来てしまう「12鍵盤」楽器でのピッチ変動
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【序論】:
純正律で最も問題になるのは、俗に?「禁則(の)五度」と呼ばれる純正より1シントニックコンマ狭い五度でしょう。すなわち、純正律の種類にもよるのですが、一般には、主音の全音上(つまりⅡ)と全音下(短Ⅶ)の和音を弾く場合にこの狭い五度が発生する訳です。
で、昨今のネット情報では、この狭い五度の不快な響きを「上手く誤魔化す」ために、トリルを入れる等の「技」が編み出されたなどと噂されている訳ですが、そもそも「音程が自由に変えられる楽器や声楽」では、音程調節によって不快な響きを緩和しさらには純正になるように「シフト」させることができるので、トリルのような「誤魔化し技」を使う必要は本来ない訳です。なので、このような技は、音程が固定された楽器専用のものと言えるのかも知れません。
一方で、音程が固定された楽器であっても、誤魔化し技が使えない場面が当然に出てきます。その最たる例が「4声コラール」曲を鍵盤楽器(分割鍵盤のない一般的な楽器、以下「12鍵盤(楽器)」とも呼ぶ)で弾く場合ではないか、と考えられます。すなわち、4声コラール曲はゆっくりな曲が圧倒的に多く、速い曲での誤魔化し技である「スタッカート」なども一切使えず、また、このような曲でトリルを入れるのも大いに不自然だし、例えトリルを入れても、ゆっくりの曲では音程の悪さが「ばれて」しまうと思われます。ですので、音程が固定された楽器であっても、純正律を使う場合には、一度はこの問題に正面から取り組んでみる必要があります。
【本論】:
純正律を使用しつつ、Ⅱの「禁則五度」の不快な響きを解消させて純正五度にするためには、Ⅱ音(レ)又はⅥ音(ラ)の内の少なくともいずれか一方のピッチを変動(シフト)させる必要があることは前にも書いた通りです。そして、これは、音程が固定されていない楽器や声楽では「当たり前のように行っている」旨の噂を聞きます。
しかしながら、Ⅱ音(レ)又はⅥ音(ラ)という「ダイアトニック音」のピッチを変動させることは、それは即ち「7音階の基本構造(土台)を(一時的にせよ)歪める」行為とも言えるわけです。
さらには、派生音ならまだしも、基本音階の構成音のピッチを「頻繁に変える」となると、演奏者が演奏困難になるのみならず、聴いている側も安心して聴いていられなくなるであろうことは、容易に想像できます(実際、合唱の方のサイトで、音階構成音の変動に関し、そのようなことが述べられていた記事を読んだことがあります)。
従って、このようなピッチの変更はあくまでも「例外的処理」であり、それ故、作曲家も純正律を使う曲の場合は、出来るだけ狭い五度が生じないように工夫して作曲していたものと考えられます。
器楽曲でも例えば「Ⅱの調へ転調してそのままずっと留まる」曲や「Ⅱ音のオルゲルプンクトを使う曲」などは全く見たことが無いので、純正律前提での曲作りには色々な「不文律」があり、そのような「不文律」の内の多く(ないし幾つか)は、例えミーントーンなどの他の「制限が緩い音律」を前提とした曲を作る場合であっても、伝統的に守られたのではないか、と思えてなりません。
【具体例】:
以下は、長調曲でのⅡの禁則五度を解消させる場合に絞って論じます。
上記のように、Ⅱの「禁則五度」を解消させて純正五度にするためには、Ⅱ音(レ)又はⅥ音(ラ)の内の少なくともいずれか一方のピッチを変動(シフト)させる必要があります。
で、前に記事で取り上げた「バンの完全鍵盤」では、白鍵の内D音だけを分割していますので、この問題に対してはⅡ音(レ)のピッチのみをシフトさせることで解消していたことが分かります。五度圏図で書くと以下のようになります。
しかしながら、この五度圏図をよ~く眺めて見ると、何やら不審?な点に気づかないでしょうか。
(折角なので、ここで暫く休憩(笑))
~休憩終わり)
再開します。皆さん分かりましたよね。
そうです。この音律構成だと、ニ調の曲を弾く場合に「『主音』二を頻繁にピッチ変動させる必要が生じる」ということです。つまり、主和音(Dのコード)を弾く場合には「低い」ニ音とし、下属和音(Gのコード)を弾く場合には「高い」ニ音とする必要があるのです。これは、五度圏図でのニ(D)音の両側の2つの音すなわちト(G)音とイ(A)音で構成される全音が、大全音ではなく「小」全音であることから生じる現象です。両側の全音が「大全音」であればこうはならないことは、図中のハ音の両側(FGの全音構成)を調べるまでもなく明らかでしょう。
これが如何に重大な問題であるかを強調するために、再掲補足します。この音律構成だと、ニ調の曲を弾く場合に「『主音』すなわち『ルート音、根音』である二(D)音を、「頻繁にピッチ変動させる必要」が生じる」ということです。ここまで強調すれば伝わったでしょうか?(笑) これ、「ありえない!」と思いませんか、普通の感覚では。「土台がゆらぐ」どころの騒ぎじゃないですよね。
上記の例はニ調の曲を弾く場合でしたが、バンの完全鍵盤では、ニ調の一歩手前、すなわちト長調曲や、ハ長調曲でト長調に転調してしばらく留まる場合でも同様の問題が生じることが分かります。
これはシューマン作曲によるト長調の四声コラールの出だしです(ピアノ曲「ユーゲントアルバム」より第4曲目)。
第1小節の初っぱなから和声進行がⅠ(G)→Ⅴ(D)→Ⅰ(G)→Ⅴ(D)となります。つまり、最初のⅠの和音(Gのコード)を弾く場合には「高い」ニ音とし、次のⅤの和音(Dのコード)を弾く場合には「低い」ニ音とし、これを延々繰り返す必要があるのです。これでは演奏者も聴衆もストレスが溜まってしまうのではないでしょうか?
このように、バンの「完全鍵盤」は、ニ調をケアしているかのように見えて、実はニ調が全く使い物にならず、それどころかト調(さらにはハ調?)でさえ大きな問題を抱えている、といわざるを得ないのです。
(その意味では、バンの完全鍵盤に対する「これはディスインフォメーションではないのか!?」という私の「疑惑」は未だ捨て切れていないのです。バンの完全鍵盤については「その用途」を深く考察する必要があると思っています。)
次に、「Ⅵ音(ラ)」のみのピッチを変動(シフト)させる場合を考えてみましょう。この場合はこうなります。
この場合も同様に、Ⅵ音(ラ)の両側(レ-ミ)は大全音ではなく「小全音」なのですが、Ⅵ音(ラ)がシフトすることで問題となるD及びAの和音は、Ⅰ(C)の調から比較的遠い和音であり(つまり属和音、下属和音のいずれでもない)、使用頻度が相対的に少なくなり、「ト調」で留まっている限り、上記のような頻繁なピッチシフトの問題は生じない(少なくとも「生じにくくなる」)と考えられます。
このような背景からも、音律を勉強する者としては、Ⅱの「禁則五度」を解消させて純正五度にするためには、Ⅱ音(レ)ではなく、「Ⅵ音(ラ)」のみのピッチを変動(シフト)させるのが正式かつ伝統的「作法」なのではないか、と考えざるを得ないのです。
純正律でのⅥ音(ラ)の音程をどうするかは、音階および音律の歴史上「大問題」でした。すなわち、純正律における音階の歴史では、一般のギリシャ音階と、ギリシャ音階の内のⅥ音(ラ)だけを1シントニックコンマ分(約22セント)上げた「ヨーロッパ音階」と、に大別されます。
一方、「音律」史においてⅥ音(ラ)の音程補正に関して現在最も有名なのは、キルンベルガーⅡの音律だと思います。キルンベルガーⅡでは、Ⅵ音(A)の音程がギリシャ音階とヨーロッパ音階との「中間値」に設定され、他の白鍵の音程は純正律(ギリシャ音階及びヨーロッパ音階)そのものです。
また、1曲の構成音の内、Ⅵ音(ラ)に比較してⅡ音(レ)の方が圧倒的に使用頻度が高い傾向があるのは明らかであり、以前に記事にしたハイドンのハ長調ソナタ(初学者用ソナチネ)のように、Ⅵ音(ラ)は比較的慎重に扱われる傾向にあります。
それ故、Ⅱ音(レ)のピッチ変動は許容されない傾向にあり、逆に、Ⅵ音(ラ)の音程については、ギリシャ音階の「低い」音程とヨーロッパ音階の「高い」音程とを切り替えて使用したり、切り替え使用が難しい場合にはこれらの音程の中間値を使用したりすることが「ある程度(or大いに?)許容されている」と考えることができるのではないでしょうか。(勿論「例外」もあるでしょうけど)
(再び休憩)
---第3部開始-----
最後に、余談的になりますが、鍵盤楽器での「超?裏技」を紹介いたします。
これはずっと前からアイデアとして暖めていたものですが、強烈な異端の匂い?がするため(笑)今まで発表を控えていました(汗)。
上に例示したような四声書法の曲では、派生音を全部は使っていないケースが割と多いです。したがって、このような場合には「12鍵盤」でありながら、「余った派生キー(特に短Ⅶ音)」を利用して「22セント高められたⅥ音(ラ)」を作ることができるのです。このような使い方は、昔の人も行っていたかもしれないし、そうでないかもしれません。(ただ、並以上の音楽家であれば「当然気づく」と思います。この私でさえ(笑)気づけたくらいなのですから。)四声書法曲に限らず「短Ⅶの派生音を使わない曲」素行調査(笑)を行ってみると、もしかしたらその辺りの事情が分かる可能性があるか、とも考えられます。
上記シューマンのト長調コラールでは、ルート音がGなので、Ⅵ音(ラ)はE音になり、楽譜を調べてみると、「偶然」か「必然」か、その右横の白鍵Fを使わない曲であることが分かります。したがって、短Ⅶ音である白鍵Fの音程を約半音分下げて「22セント高められたⅥ音(E)」を作ることができるのです。
「E音」と「1シントニックコンマ分高められたE音」(←実際は「不当?もしくは想定外に低くされたFキー音」)とを連続して弾くと、こんな感じです。まるでラモンテ ヤングの「well-tuned piano」みたいでしょ?(笑)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
こんな「奏法」が、声楽や音程可変の楽器で出来るのか?は甚だ疑問ですよね。というか「まず無理」だと思うのですが、関係者の方いかがでしょうか。「純正和音でハモるように音程を作っていく能力」と、このように「ハモらせる対象なしに1シントニックコンマ分だけ上下動させて歌う」能力とでは全く別物と考えられます。
それに対して、鍵盤楽器では(電子/生楽器を問わず)「調律技術」さえあれば、こんな芸当までいとも簡単に出来てしまうのです。ですので、12鍵盤の鍵盤楽器に関しては、その調律が「醜く切り取られた~」などと卑屈になるべきではなく、実際は「無限の可能性を秘めている」ことにもっと多くの人が「気付く」べきだと思うのです。上記したように、1オクターブ内の「任意の12音」でさえ「十分に使い尽くされていない」現状なのですから。(何度も書いて恐縮ですが(笑)、本当、人間は「気付き」が全てなんです、311「事件」で覚醒した方はわかりますよね?)
では最後に、こういった「特殊能力」(笑)だけ自慢しても仕方ありません(それこそ「美しくない」(笑))ので、シューマンの4声コラールの出だし4小節を、補正「前」の純正律演奏と、補正「後」すなわちFキー代用での純正律演奏と、を比較視聴してみたいと思います。
修正対象は、5つ目(バスのE音)と7つ目(ソプラノのE音)です(いずれもⅡのA和音)。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
どうでしょうか。後の修正演奏の方が「美しい響き」であることは誰の耳にも明らかですよね。
但し、最初の4小節は未だ下属和音すなわちC和音が出てきていないので、E音が「変動している(高められている)」ことは誰にも気づかれない段階と言えます。6小節目からCの和音が出てきてEを本来の「低いピッチ」で演奏する必要が生じますので、耳の良い人であれば「E音のピッチが変動している」ことに気付くでしょう。ですので、作曲家は、そのような場合であっても聴者に「不自然である」とは感じさせないような曲作りをしなければいけないことになります。
したがって、純正律前提での曲を作る場合、どんな曲であっても「禁則五度」の箇所には細心の注意を払って作曲していただろう、と考えられるのです。
今後の記事投稿予定 [たわごと]
やはり自己ノルマ課さないと記事を書く気が全然起きないですね、まいったまいった(汗)
というわけで、今後の記事投稿予定をノルマって?みる・・・頑張れ私!
【投稿予定のテーマ】
① 昔と今とで如何に価値観が違うか? についての考察
⇒五度の価値、調律替えの面倒さ、などなど
②「鍵盤スコラダトゥーラ」(笑)を実践していそうな作曲家は誰か?
⇒そりゃあ「あの人」でしょう(笑)
③ シントニック・コンマ(入り五度)分割の技法
④ バンの完全鍵盤は「ディスインフォメーション」なのか否か?
⑤ バロック時代のニ長調鍵盤曲の特徴
⑥9月の発表会のための曲決め
こんな感じですかね・・・本当は純正律研究より⑥の曲(発表会が9/2)を早急に決めなければイカンのですが(汗)
そうそう、「完全鍵盤」の正体、分かりましたでしょうか?
私の計算結果だとこうなりました。
余裕のある方は、Ⅰ(ド)を基準(0)としたセント値を計算して書き込んでおくと後々役に立つと思いますので是非。それと、純正「短」三度の線も加えるとナカナカ面白いです。
ではまた。
BWV876に決定 [発表会対策]
>⑥9月の発表会のための曲決め
> こんな感じですかね・・・本当は純正律研究より⑥の曲(発表会が9/2)を早急に決めなければイカンのですが(汗)
というわけで決めました。
最初は「今回もバッハ以前の短調曲を」、「ゲオルクベームのト短調前奏曲あたりか?」と思っていたのですが、「闇の勢力も崩壊が進んでいるようだし、そろそろ明るい曲を弾いても良いかも(汗)」などと迷い出し、色々さまよった末に、消去法で決めていったら、やはりバッハの曲になってしまいました(汗)。
で、今回はこれ、WTC第2巻第7番、変ホ長調、BWV876(懲りもせず♭系曲(汗))です。
決めた理由は、
(1)中庸の速度であること(速い曲が苦手な小生にとってポイント高い!)
(2)練習期間が実質1ヶ月くらいしかないので、ある程度譜読みが出来ている曲であること。
(3)チェンバロの調律が今回もヤング(1/6p.c.分割法)と思われるため、それに合う曲であること
(4)余り長くない曲であること
などです。
また(男性に不利と言われる)♭系になってしまいましたが、まぁ仕方無いですね。上の前奏曲はリュート曲的な曲想でとても好きな曲ですし。
(4)の長さについては、当初は「前奏曲もフーガも「見開き2ページ」なのでそんなに長くないはず」と思っていたのですが、実際弾いてみると結っっっっっ構長く感じられ(汗)、もしやと思いベーレンライター社の新バッハ全集の楽譜を見てみると、前奏曲は2ページでは収まらず4ページに亘ってますね、、、、こっちはこっちで譜めくりが大変そうですが。
というわけで、今回もやはり「体力勝負」になりそうな気がしてきました(汗)・・・ううん、頑張れ私!
BWV876練習日記(0725版) [発表会対策]
先ほど長久師匠にメールを出し、発表会曲のチェンバロレッスン日が8月18日(土)の午後2時に仮決定された。
ということは、レッスンまであと「24日」である。
あまり期間がないこともあり、今日からコツコツと練習録を書いていこうと思う。
途中で夏休み旅行も入る予定であるが、バッハの曲はハードルが高く体力勝負&これから長丁場なので、ブログは無理せず少しずつ書いて行こうかと思う(出来るだけサボらないように頑張れ私!(汗))。
まずは、BWV876攻略に当たってのとりあえずの目標(野望?)などを書いてみる。
前奏曲(全71小節):
とりあえずは、「この曲長い(汗)」と感じている現在の低レベル状態から脱すること。まずはそこを脱出しないと話になりまへんねん。
フーガ(4声、全70小節、主題の拡大や反転等はないが、ストレッタが3回出てくる):
まずは、3回出てくる「ストレッタ」を説得的に表現できるようになること。
昨日と今日は、片手パートずつシーケンサー録音&片手ずつ再生練習、少しだけ両手通し弾き練習をしてみた。
フーガは、テンポ112、A=415,音律=キルンベルガーⅢで、シーケンサー録音だとこんな感じ(ローランドの電子チェンバロ使用)。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
これ聴いただけで、「あ、ここ(1)と、ここ(2)と、ここ(3)がストレッタだ!」と分かる人は凄いです。
では今日はこんなところで。
BWV876練習日記(0726木曜版) [発表会対策]
今朝長久師匠からレスが来て、レッスン日が8月18日(土)の午後2時に本決定された。今年は何故かバッハが不人気のようで、バッハ演奏は私だけということである。
ということで、レッスンまであと「23日」
今日はどうにかサボらずに日記を書けそうだ。しかし今夜のこの「熱帯夜」はどうにも閉口する(汗)。
今回は、フーガの昨日の続きということで。
> まずは、3回出てくる「ストレッタ」を説得的に表現できるようになること。
>これ聴いただけで、「あ、ここ(1)と、ここ(2)と、ここ(3)がストレッタだ!」と分かる人は凄いです
これ、折角なので解説します。
ストレッタ第1回目がここ(下から2段目の5小節目裏拍のB♭音から)。テナーvsバスです。昨日の演奏で1分5秒くらいのところから。
最初のストレッタでは、(部外者wとなる)アルトとソプラノ声部が一旦休んでテナーとバスの2重唱になるので(楽譜最下段を参照あれ)、非常に分かりやすく、しかも極めて美しいんですこれが!(しみじみ)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
その後直ぐに第2回目のストレッタが来ます。昨日の演奏で1分19秒くらいから。今度は休んでいたアルトがテーマを歌い出して3声になり(上の楽譜の最下段の最右側小節のB♭音から)、その後直ぐにソプラノが追いかけるようにテーマを歌い出します。
ここは完全4声になっているので結構分かり難いです(汗)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
そして最後のストレッタ。昨日の演奏で2分7秒くらいから。最後はソプラノvsバスです。ソプラノに比べバスの主題がわかりにくい。ここも完全4声だし、終盤の難所か(?)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
そんなこんなで、今日はローランド電子チェンバロのみならず、カシオキーボードの方も調律をキルンベルガーⅢにして弾いてみたのですが、どういう訳かカシオの方が、和音の「唸り」が目立って聞こえましたね。
また、久しぶりにKBⅡ(生)ピアノでも弾いてみたのですが、やはり相当調律が狂っていたことと、KBⅡだと変ホ長調の主要三和音が全てピタゴラス長三度になるためか、弾いていてイマイチでした。
週末は生チェンバロをジョビン音律にして是非試してみたいと思った次第。
では今日はこんなところで。