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「修正純正律」という発想法~中全音律との架け橋~ [純正律(Just Intonation)]

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【序論】
 某音律情報書籍によれば、鍵盤楽器の世界では、純正律の思想は「中全音律によって初めて具体化された」ものであり、純正律は「Ⅱの五度が破綻しているため使い物にならない」とのことである。これが現代音楽社会における「通説」であり「常識」であろう。

 ふむふむ、それでは両音律の純正音程構成数(その他)を調べてみると?

     (王道)純正律  vs  ノーマル中全音律(1/4s.c.)
純正長三度    8  (←互角→)    8
純正短三度    6            無し(純正-5.5セント ←大敗)
純正五度      9                     無し(純正-5.5セント ←大敗)
P短三度       3                     無し
--------------------------
広い五度(セント)+20         +36.5(大敗)
最も狭い五度   -22         -5.5(←勝ち)

・・おいおい、最も狭い5度で勝つのは(そのために案出されたのだから)当然として、純正音程で張り合っているのは純正長三度だけで、他はことごとく「大敗」(退廃?w)しているじゃない。これってどうにかならないの? っていうか、そもそも「ここまで崩さないと純正律の思想って実現できないの?」と、音律研究している人であれば一度は考えたことがあるのではないだろうか。

 また、ミーントーンの5度は、純正から約5.5セント狭い幅であり、この5度の唸りが「人間の耳にとっての受忍限度ギリギリ」だとされている。それゆえに、「これってまるで『奇跡』みたいだよね、ああよかったね」と考える人も多いのではなかろうか。一方で、人によっては、この5度でも場合により「耳障り」と感じる人も結構いるのではないだろうか?

 ミーントーンの世界では、この5度の値を純正に近づけるには、シントニックコンマ分割の1/4の値を1/5、1/6・・と(分割数を大きく)していくしかない、と考えられている。だが、この分割数を大きくするに従って、「最後の砦」だった純正長三度が「あれよあれよ」という間に純正から遠ざかっていき、それでも決して純正五度にたどり着くことはなく、それどころか最後には何と!、、、、『あの音律』に辿り着いてしまうのだ。あぁ何と言うことだろう! 神は我々人間を見捨てたのだろうか?

(休憩)
【本論1】
 少し前の記事でこの表を公開した(クリックで拡大可能)。dai純正音程数ランキング表_03.PNG

 例によって急いで作ったため、純正音程数に数え間違いがあるかもしれないが、それはこの際大した問題では無い。重要なことは、太字で書いたように、昔と今とでは、「常識」と「論外」が全く逆転してしまっている、ということだ。

 もう少し詳しく書くと、いわゆる「エントロピー」論で喩えると、この表中で最もエントロピーが低そうな(すなわち秩序性、ポテンシャルエネルギーが高いなどの)音律が言うまでも無く「純正律」であり、逆に最もエントロピーが高そうな(つまり雑でこれ以上「崩せ」そうにもない、ポテンシャルエネルギーが全く無さそうなどの)音律が『あの音律』つまり12ETな訳だ。これも論を待たないであろう。

 で、昔は12ETは普通の音楽家にとって本当に「全くの論外」音律であり、純正律が「常識」音律だった訳で、これに対して現代は完全に状況が逆で12ETが「常識」、純正律は「論外」音律に追いやられてしまった訳だ。

 これが何を意味するかというと、昔の人は純正律を「出発点」として物(音楽その他)を考えていたのに対して、現代人は12ETを出発点でしか物を考えられなくなっている、ということである。
 そして、これは音楽その他のあらゆる側面に影響を与えることになる。言うまでも無く「音律設計」などの面でも極めて重大な影響を与える。
 どういうことかと言うと、現代人は「常識音律」である12ETを出発点として音律設計等しようとする。少し前の私もそうだった。そうでない場合でも、常に平均律との「偏差」の値を意識することをいわば「強要」される。

 これに対して昔の人は、純正律を出発点として音律設計できたはずなのである。だってそれが当時の人の「常識音律」であり「体に染みついていた」音律なのだから。
  で、ここで良く考えて欲しいのだが、12ETを出発点として音律設計する場合と、純正律を出発点として音律設計する場合とで、「どちらが良い音律ができそうですか?」、「どちらがより苦労しそうですか?」ということである。
 言い換えると、ある曲に対して、12ETを出発点として「想定(ないし最適)音律」探しする場合と、純正律を出発点として「想定(ないし最適)音律」探しする場合とで、「どちらが早く正解に辿り付けそうですか?」、「ゴールまでの道のりはどちらが楽そうですか?」ということでもある。

【本論2】
  ここで話をミーントーンに戻す。結論から言うと、ミーントーンを修正する場合に「ミーントーンを出発点」としている限り、「それ以上の純正な音律」にたどり着くことは非常に難しいものと思われる。要するに低次元の世界から高次元に行くようなものであり、それには「発想の飛躍」が必要だからである。
 これに対して、ミーントーンを修正する場合に、それよりも次元の高い音律である「純正律を出発点」とすると、今まで全く思いもよらなかったヴァリエーションが次々と得られるのだ。おそらく昔の人は、このくらいのことは直ぐに思いついただろうと考えられる。
 まずはこれ

短2修正_修正純正律ー1セント型.PNG 


 微少(1セント)修正(ないし「変形」)の例である。
 純正律から純正短三度と純正五度が無くなることになるが、誤差は僅か1セントである。純正律サイドで見ると純正音程が長三度8個だけになるので「まるでミーントーン」音律、「多大なる損失」音律、「こんなの『修正』じゃなくて明らかに『改悪』だろ!(ぷんすか)」音律といえるが、ミーントーン側から見ると「頑張れもうすぐ純正律!」音律とも言うべき内容になっているのである。なお、純正律側から見ても、狭い禁則5度が3セントほど緩和されていることが分かる。
 しかしながら、この修正は如何にも中途半端なので、実用に供された可能性は低そうである。

 では次はどうだろうか?
短2修正_修正純正律ー4セント型.PNG

 4セント修正の場合である。
 この五度は言うまでもなくヴァロッティやヤングで使う1/6ピタゴラス・コンマ狭いものである。故にミーントーン5度よりも格段に「耳障り」感が少ない。にもかかわらず、ミーントーンと同様に純正長3度が8つ確保されているのだ。これは一体どうしたことか? 純正律サイドから見ても、禁則5度が12セント改善されて-10セントとなっている。つまり、キルンベルガーⅡの-11セントよりも良い値であり、しかもキルンベルガーⅡと違ってAEは-4セントの「絶対安全圏(笑)」である。
 この音律のさらに特筆すべきところは、純正律の大小全音構造(のニュアンス)がそのまま残されていることである。つまり、ヴェルクマイスターⅢのように、ハ長調曲でドレ(CD)の幅がレミ(DE)より「狭い」ということにはならないのである。
 このレベルになると、俄然使いたくなって来ないだろうか?

 こうして、純正律からミーントーンへのいわば「過渡期」的な音律は、純正律をちょっとだけ修正する試みによって実に簡単に得られることが分かる。「逆だとこうは行かない」ことは、ミーントーンの修正を試みたことのある人なら自ずと分かるであろう。
 このように、純正律を出発点とし、5度の値を適宜調節することにより、純正律の音階基本構造を可能な限り保持しながら、無限のヴァリエーションを得ることができるのだ。逆に、最初にシントニックコンマの修正値を決めて(つまり「我慢ができる禁則五度の音程」を見つけて)、その修正値を5度に適宜反映(しわ寄せ)させていくこともでき、この場合もヴァリエーションは無限である。 正に純正律は「宝の山」と言える。

 では次
短2修正_修正純正律ピタゴラス近接型.PNG


 これは純正律からピタゴラス音律への「過渡期」的な音律を作るための修正(変形)例である。具体的には、「長三度は「ほどほど」で良いけど出来るだけ沢山の五度で純正を維持してね。でも純正律の音階構造(ニュアンス)は残してね」という一見とんでもない(?)注文に応えるための修正といえる。
 この例では、長三度がヴァロッティやヤングと同じ純正+6セントとしつつ、禁則5度は6セント改善され、ラの値も若干高くなって幾分歌いやすくなっていることが分かる。ヴァロッティやヤングと同じ長三度を確保しつつ「表の調」の五度も出来るだけ純正にするなんて、ちょっと普通では思い浮かばないのではないだろうか? しかもヴァロッティやヤングでは純正+6セントの最良長三度が「3つ」しかできないけど、この音律なら何と「8つ」出来るんですよ、8つ!(あ、イカン、つい口語調になってしまった(汗))

 以上、駆け足で述べてきたが、「純正律は宝の山」という感覚が少しでも伝われば幸いである。


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コメント 2

REIKO

昔の人の常識音律であり、体に染み付いていた「純正律」とは、12音に限った(鍵盤用の)純正律ではなくて、音高が自在に調整できる声楽等による純正律ではないですか?
声楽は鍵盤音楽よりずっと昔から存在してるので(というか、音楽は声楽が出発点なので)、ある意味当然です。
現在、例えばタリス・スコラーズのような団体によるジュスカン・デプレやパレストリーナのミサ曲などの歌唱は、誰が聴いても「美しい」と賞賛しますよ。
つまり現代においても「純正律が美しい」という価値観や感覚は、ちゃんと通用してるのです。
「論外」でも何でもありません。
ただ、(リズム感に乏しいことや、ポリフォニーになじめない人もいるので)この種の音楽を長時間聴いていると退屈だとか、綺麗なだけでは物足りないと言う人がいるのは事実ですが、それはまた別の話。
普通に使われる「純正律」という言葉が、このような「本物の」純正律と、「12(他の数でもいいですが)音に限った」純正律の両方を含むことに、最近のEnriqueさんの記事を読むまで、うかつにも気づいていませんでした。
上の表には「本物の純正律」への言及がありませんよね・・・
太陽系の図表に、惑星をたくさん載せておいて、太陽が無いような感じです。

本物の純正律には禁則も広すぎる五度も無く、従って音階がガタガタになることもないし、B#の代わりにCが響くなんてこともありません。
禁則自体が無いのだから、(それを使う)勝負和音?も存在しないことになります。
12音に限った純正律を12Justとすれば、本物の純正律と12Justは全く「別物」です。
純正律で歌う古楽系の声楽団体や、純正律でハモれる一部の楽器をやっている人から見れば、12Justなんて12の固定された音しか使えない可哀想な鍵盤楽器の、それこそ「論外音律」だと言うでしょう。
(「醜く切り取られた」とは正に言いえて妙だと感心しましたが)
kotenさんはその12Justが、かつて常識だった「純正律」だと誤解していませんか?
(事実、表には12Justの下に「昔 常識」とあります)
常識だったのは「本物の純正律」の方であり、12Justではないと思いますよ。
なぜなら長い期間、音楽は圧倒的に声楽中心で、「12Justで歌う」なんて考えられないからです。
後からボチボチ登場してきた鍵盤楽器は、本物~は実現不能なので、まあミーントーンとかでやってたのでしょう。
(12Justでは、演奏中の調律替えみたいな芸当でもしない限り、転調に限度があり、不良五度もいくつかあるなど、作曲に際して制約が多すぎるので。本物の純正律が「体に染み付いている」時代であれば、12Justで広い五度をまたぐなど、純正でない音程を使うなんて厳禁でしょうし)
また、12音だけを使ってる時点で、すでに本物の純正律を修正してるのに、さらにそれを修正したらもう「Just」とは言えないです。
本物の純正律と比べたら、12Justなんてどれも、あちこちが破綻している醜いつじつま合わせの世界なんですよ。
表の他の音律だって、みんな同じ穴のムジナです。
そんな中で「純正音程の数」など競っても、どんぐりの背比べでしかないと思います。
(12音で考えてて12ET批判できるんですか?とは、そういう意味ではないでしょうか)

声楽ポリフォニーが頂点を極めたのはルネサンスの末期で、その後は器楽が徐々に台頭する時代が始まります。(つまりバロック)
楽器には「本物の純正律」に適応できないものも多いので、そのような音楽的背景の中、少しずつ音律に対する考え方や、音程感覚の変化が起きていったのでしょう。
18世紀にオイラーが純正律の理論をまとめたといっても、あれは12Justにとって何が便利とか実践的というものではないので、それに触発されて古典派の鍵盤曲が云々・・・は、当たってないと思います。
いかに12Justが「醜く切り取られた」システムかが見えてくるだけですよ。

それよりも、まだ声楽が主流だった(「本物の純正律」が当たり前だった)時代のイギリスのヴァージナル音楽なら、実際に楽器を何らかの12Justで調律し、それで作曲されたものがあるかもしれません。
(あるいはその系統を引く初期バロックの中にも)
その場合はおそらく「純正な音程だけを使っている」ことでしょう。
禁則にひっかかっているなら、「これは違う」と潔く諦めて、他を探した方が早いと思います。
(そもそも、禁則使用の「勝負和音」と言うからには、その曲が12Justで作曲されていることが前提になるので、最初から「勝負和音」を探すとか見つけるというのは、順番がおかしいですし)
ある作曲家の多くの鍵盤曲で、同一(又は類似)構成の12Justが良好適用できるなら、その作曲家は「12Just使い」としてもいいでしょうね。

by REIKO (2012-07-08 04:41) 

koten

REIKOさん、コメントありがとうございます。( ^-^)_旦~
回答は表で。
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08
by koten (2012-07-08 16:00) 

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