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(0705表補足)コメントレス [質疑応答]

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前回記事のコメント欄より

REIKOさん、コメント有り難うございます。

>2・3楽章はいくら何でも禁則に引っかかりすぎで、しかもそこを「繰り返す」箇所が多いのが致命的です。
・・・少なくとも1楽章は「和音的には」OKってことですよね?

>(2楽章のトリオ14・15小節、3楽章の5・6小節、10・12小節など)
・・・私も3楽章の禁則は気になったので、今後、禁則和音につき、「ピタゴラス長3度」的性質があるか研究する余地があると思っています。つまり、「ピタゴラス長3度」はあの比率をちょっと代えれば「耳障り」感が大幅に改善されるじゃないですか、バロック時代の各種調律法に表現されているように。それが「禁則五度和音」も同じような性質を有するのであれば、ちょっとだけ「調律」すれば良いことになりますよね。

>kotenさん、耳は大丈夫ですか????!!!
>第1楽章・・・旋律論うんぬん
・・・私、ミーントーンのウルフ五度が「全く恐くない」レベルになるまで耳を鍛えた(笑)ので、大抵の和音は大丈夫なんですよ、、、12ETの「精確」な和音以外なら(爆)
 で、この耳&音感って「昔の人」に結構近いのではないか、と何気に自負してるのですが(笑)。第1楽章の「狭すぎ」る二音も気にならないです。ただ、確かに禁則和音はそのままでは少し耳障りだと思います。
 一方、REIKOさんだって、未だ「純正短三度」が『広い』とか『高い』とか感じていらっしゃるんでしょ? おあいこですって(爆)

>検証に使ったk.331のMIDIは、どなたかが「手弾き入力」した、音楽的にも非常に良い演奏のものです
・・・12ETや「均された音律」に準拠した演奏って私「信じて」ないです(爆)。純正律には「それ用」の演奏法やテクニックがあると思っています。

>やはり純正律を適用して良好な鍵盤曲を探すとしたら、ルネサンス~バロックあたりじゃないんでしょうか・・・。
  モーツァルトの周囲の人、つまり古典派の「無名」の人の鍵盤楽器曲を弾いてみると良いんじゃないですかね。余りにシンプル(単純)過ぎるんですよ。均された調律では「直ぐに飽きる」と思うんですよね。 普通の人は「だから、そんな曲は弾く価値がないんだ」って言うんでしょうけど、私は逆に「だから、そういう曲はもっと(究極的に)原始的(プリミティヴ)な音律を使うべきなんだ」って思っちゃうんですよ・・・私、間違ってますかね?
 
 
 で、そんな時代背景&環境の中、モーツァルトの鍵盤楽器曲がヴェルクマイスターのような「均された」音律でしか弾けないような曲であるならば、サリエリとか当時の作曲家が「どうしてあいつだけが神に特別に愛されているんだぁぁぁぁ!!??」などと嫉妬しないと思うんですよね。

 
 総じて私が言いたいのは、人間の耳(というか脳?)は、調性&和声音楽演奏に最も向いてないあの12ETでの演奏でさえ、「美しい」って感じることができるわけですよね、、、、ならば、純正律についても単に「慣れ」の問題なのではないですか、ということです。今まで純正律での鍵盤楽器曲の演奏なんて全く聴いてこなかった訳ですから。
 例えば私なんて、ミーントーンの狭い5度が「自然だ」って感じることができるまでに3年以上かかったんですよ。純正律の「凸凹な音階」が自然に感じるまでにも相当かかったし。そんなもんじゃないですかねぇ、人間の耳(脳)なんて。
 REIKOさんが純正短三度を「広い」と感じなくなったときでも同じ感想ならば、そのときはもう少し素直に耳を傾ける所存です・・・でもたぶん、未だゴネてる可能性ありありですが(爆)。

(深夜追記)
REIKOさんがそれでもどーしてもこの音律ではイヤだ!!(ぷんすか) というのなら、例えばこのような妥協案があります。
0半分KB2音律.png
急いで作ったんで大分汚いですが。謂わば「半分キルンベルガーⅡ純正律」ですね(笑)。
要するに禁則で気になるのは専らGDの部分ですよね。ならばここを緩和すれば良いだけのこと。もっと妥協するのなら左側はミーントーン5度を4つバラすことまで出来ます(謂わば「半分ミーントーン純正律」(笑))。

でも、こんなにどんどん妥協して(均らして)いくと次第に「ロマン」が無くなって行くと思いませんか?(笑) できるだけ耳の方も「慣らす」努力もしましょうよ、ということで。 

(さらに追記)再度よく考えてみると、もっと妥協した「半分ミーントーン純正律」って可成り「正解」に近いのではないかと思えてきました。つまり、右側の長調構成音は思いっきり純正度を高くするが、左側の短調構成音はほどほどにする、、、これって(専ら長調曲「偏愛」であり短調曲は殆ど作らなかった)古典派音楽のあり方を「象徴している」ような気がします。 
 長調曲で同主調転調して短調に行くことはあっても、それはあくまで一時的「飾り」的なものであり、それ故に同主調転調してもその主和音に純正短三度が無くても構わない、、、、この考え方は「アリ」じゃないですかね。ルネサンスやバロックでは純正短三度がある音律を使ったので短調曲が多いが、古典派では短調曲は殆どない、その理由は古典派時代に一般的だった音律に純正短三度が無かったから・・・こういう論理展開もアリですよね。

 ううむ、そうすると、今後は「半分ミーントーン純正律」も研究する必要ありか・・・際限なく広がっていくな研究対象が(爆)。

(0704補足)先ほど「半分ミーントーン純正律」での演奏を試しました。GDの禁則5度は全部解消され、かつ半音階も「均されて」ますので、(少なくとも一般向けには)非常に良好かと思われます(ここまで崩してもイ長調の主要3和音の純正は依然として維持されています)。ただ人によってはF→F#の半音階が気になる場合があるかも知れませんので、その場合はFを少し下げるかF♯を少し上げればよいのではないかと。F♯を上げた場合はB-F♯の禁則も少し広くなりますので、悪い5度が幾分緩和されると思われます(但しF♯は「ラ」音なので、ここをいじるとⅣの和音の純正が崩れますが)。

(0704表追記)

dai純正音程数ランキング表_03.PNG


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余談:米国独立記念日の今日7月4日、米国の大銀行が「生前遺言」を出しましたね、、何ともはや。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120704-00000035-jij-int
「円滑な破綻処理へ「遺言」=米欧金融9社が提出、万一に備え」
 ・・これって「万一」が起きることを「事前通知」しているような気がするのは私だけでしょうか?(汗)

これに関する今日の「ひとりごと、ぶつぶつ」さんの記事は興味深いです。
http://satoru99.exblog.jp/18536807/


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コメント 14

REIKO

丁寧なレス、ありがとうございます♪
う~ん、あのですねえ・・・モーツァルトが使った(それとも想定?規範?)音律に関してkotenさんが、「こうあって欲しい」とか「こうであるはず」という「思い」が先行してるのが気になるんですよ。
まず「結論ありき」で、それに都合の良い証拠(もう少しマシな証拠にしてほしいですがw)だけを探してきて取り上げ、色々な論理?をつけて「どうだ!」と言ってるように感じるんです。
これって例えば、まず「原発は安全」と決めつけて、それに都合のいい理由をあれこれ並べ立てるのと同じことではありませんか?

私の、「モーツァルトはヴェルクマイスターでいいんじゃないの?」という結論は、私にだって全然面白くないですよ。
とりたてて衝撃的でもないし、ヴェルク~はあちこちで使われているので、すでにそれで録音したモーツァルトもたくさんあるでしょう。
でも色々調べた結果、それが最もシンプル(←ヴァロッティよりも調整した五度の数が少ない)で妥当な解決方法だと考えざるを得なかったわけです。
ヴェルク~は消去法で残っただけなので、積極的なメリットがあるわけではないし、私の好む音律でもないですが、世の中が全て自分の「思い」通りに行くわけないのは、当然のことです。

それで、単にある曲にある純正律が使えるとかそれで演奏すると良好だ、あるいは楽器がキレイに響くから、少しくらい禁則にカスっても(自分は)気にならない・・・旋律のガタつきも(自分は)平気だ、慣れたと言うのは別に構わないんです。
古典派の(でなくても一般にシンプルな)鍵盤曲が、純正律で見違えるように魅力的になるのも良く分かります。
ですが、だからといって、これが作曲家の想定(規範?)音律だとか、古典派は云々・・・とまで言われると、どうしたって論理の飛躍を感じてしまいます。
純正律には色々な構成のものがあるので、あれがダメならコッチ、禁則五度が耳障りならちょっとだけ調整、音階のデコボコが気になるのは耳が慣れてないからだ、純正律には純正律の演奏テクがある・・・などと言ってたら、おそらく殆どの曲がkotenさん的には何らかの「純正律想定」になってしまうでしょう。
これは傍から見たら、単なる純正律マニアのゴリ押しでしかなく、第三者の共感を得るのは難しいと思います。
↑↑↑それを心配してるんですよ、私は。(^ ^;)

k.331はソナタとしては例外的にイ長&短調の楽章だけですが、第二楽章が下属調などになる他のソナタはどうなるんですか?
それともk.331だけが「特別」で、それをもってモーツァルト全体にまで話を広げてるんでしょうか?
ミーントーンウルフ回しの時は、k.333が「特別」とか言ってたような気がするんですが。
その前はk.545に、KBIだったかIIを何とかハメようと、あれこれ理由を考えてましたよね。
・・・どうもそのへんが・・・(苦笑)
いずれの場合も、その時夢中になっている音律や考え方にモーツァルトを無理矢理適用する「まず結論ありき」の論法で、それがずっと気になってたので、今回も「またか・・・」としか思えないんですよおぉお♪(^ ^;)
三度目の正直なのか、二度あることは三度あるなのかはともかく。
(正直に書いてしまいましたが、どうぞお気を悪くなさらないでね)

>未だ「純正短三度」が『広い』とか『高い』とか感じて

確かにそう感じますが、別にそれが「ダメ」とは全く思っていませんよ。
なのでフィッシャーのイ短調シャコンヌ等は、王道純正律でOKです。
スカルラッティのk.159はCルートで(禁則にかかる箇所が1箇所?ありますが)、旋律の不自然さもなく非常に良好で、特に中間の短調箇所は、今まで聴いたことがないほどの美しさです。
(音源にかかっているリバーブがすごく綺麗なのがハッキリ分かる)
どちらもミーントーンより圧倒的に良いです。

>ミーントーンの狭い5度が「自然だ」って感じることができるまでに3年以上かかった

これは私は「ゼロ年」ですね。(笑)
「楽器」を弾くことでミーントーンに親しんだのでなく、CDなど他者の演奏で親しんだせいでしょうけど。
実際の曲で、五度だけが丸裸で鳴ることはあまりないので。
っていうか、普通は「音程」でなく「音楽」を聴いてますから。
半音階の歪みは最初から「好き」でした。
なので純正律の(半)音階のデコボコも、それ自体は何でもないんですよ。
ただそれでk.331が「美しく」聴こえたか?というとNOですね。
もし彼が純正律だったら、もっと違うピアノソナタを作曲していたと思います。

by REIKO (2012-07-05 20:32) 

Enrique

kotenさんの熱意には拍手ですし,REIKOさんとのやり取りがメインだとおもうので,余り横から口ははさみたくないですが,ついつい。

kotenさんは実践家だと思うからイロイロ試してみるのはいいし,それを発表するのも自由です。冷静に打ち込みで鳴らすよりも,生演奏は「気合い」が入っていますから,「どーやーっ!?」という気持ちも分かります。でも音は聞いた人が評価するものです。

あれを,「ヘンテコで面白い!」と言う人はいても,「美しい!」と感じる人は,殆どいないと思いますよ。12ETがらみ面倒だから例え話をしますが,「うちのラーメン,まずいってやつは修行が足りないっ!」といって客を追い返しているラーメン屋のオヤジに見えますよ。別にプロじゃないから結構,趣味道楽だから面白ければOKかも知れませんが,忙しい中の時間使っているわけです。REIKOさんだって貴重な時間使って試してコメントしているわけです。折角の熱意が空回り(逆効果)になるのが惜しいです。

私に言わすと「鍵盤用に醜く切り取られた純正律」で,やはり合わない曲を演奏してるんです。純正律は本来美しいものです。努力などしなくたって。切り取られたものはその音の枠内で使うべきです。

で,醜い純正律をテンパーしたら,もうすでに「純正律」でさえもないです。純正律に対する誤解があると思います。kotenさんに刺激されて純正律の勉強をしていますので以後当方の記事も参考にして下さい。
by Enrique (2012-07-05 21:35) 

koten

REIKOさん、Enriqueさん

お二人ともコメント有り難うございます。

 この記事の最後に表を貼り付けておきましたけど、音律に関し、昔と今では「常識」と「論外」が全く逆なんですよ。 これをどう考えるかですよね。
 昔の人は純正律が「体に染みついていた」音律で、逆に12ETは多くのプロが「毛嫌い」していた音律なんですよ。
 今は逆ですよね。12ETは現代人の「体に染みついてしまった」音律で、これを「美しい」と感じるように徹底的に教育(正に「洗脳」)されてしまった。つまり12ETベースにしかモノを考えられなくなっているんですよ。逆に純正律はEnriqueさん曰く「醜い」音律ですか・・・・どうするんですか、ソルのギター曲は「純正律」前提ですよ(汗)。

 ヴェルクマイスターの第3音律も、ヴェルク自身「調号の多い曲用」って書いているじゃないですか、それを現代人は「ハ長調」曲でも「美しい!」、「この音律が最も好き!」って感じて使っているんですよね。ヴェルクが白鍵曲用に推奨しているのは誰も使いも知りもしない「第4」の方ですよね。

 つまり、昔の人と現代の人とでは、「音程感覚、美的感覚」が全く違うんですよ。なので、想定音律発掘作業に限らず、この究極に病んでしまった現代社会では、昔の「常識」や、 「当時の人はどうだったのか?」についての視点を踏まえておかないと、何か「とても大事なこと」を落としてしまうのではないか、と感じざるを得ないのですよ。

-----------------------
「やわらかなバッハ(橋本絹代著)」より第110頁
人は太古の昔より純正の音程をDNAの中に持っている。これは西洋に限ったことではなく、世界中の人間に共通した事実である。
-----------------

 まぁ御両人の仰ることも分かるので、前の記事の「想定音律」うんぬんについては表現を再考して修正しておきました。

by koten (2012-07-05 22:17) 

Enrique

私は純正律は美しいって言っているのですよ,良くコメント読んで下さい。それから,私のこれからの記事も。鍵盤用に醜く切り取られたのを無批判に使うのが醜いのですよ。
by Enrique (2012-07-05 22:24) 

Enrique

kotenさんは本来の純正律を知らないで理念のみで言っているのですね。早く目覚めてください。純正律よりも12ETの方が美しいなんて誰が言っているんですか?
by Enrique (2012-07-05 22:36) 

koten

>鍵盤用に醜く切り取られた純正律
・・この意味が良く分からんのですよ。シントニックコンマ「3つ」の純正律を指しているのか、私が提案した「片側修正純正律」のことを言っているのか、、ちなみに片側をミーントーンに修正した純正律は、「ジュリアーニが使っていた音律」である可能性があると踏んでますのでお気を付けて(笑)
by koten (2012-07-05 22:38) 

koten

いや、Enriqueさんこそ、早く「純正律フレット」ギターでの演奏upしてくださいよ(笑) 実践を伴わない理論だけで「お前は間違っている」とまくし立てられると凄い嫌な気分なんですけど(汗)。
by koten (2012-07-05 22:41) 

koten

クラシック音楽の中でも「古典派」の音楽って、現代の「ポピュラー音楽」との親和性が最も強い音楽じゃないか、と思うんですよ。そこに「罠」があるのではないかと思ったりするわけです、はい。
by koten (2012-07-05 22:53) 

Enrique

思い込んだらダメみたいですけど,あと何回か記事か来ますから,理論だけというのならそれでいいでしょう。
では弦楽合奏や管楽器はどうしているんですか?
これから記事を読んでいた第で,「切り取られた純正律」の意味を理解して下さい,分割鍵盤ってなんだったんですか?
言いたくはないですが,12音で考えてて12ETを批判出来るんですか?
by Enrique (2012-07-05 22:56) 

koten

この場合の「罠」⇒ どぅーーしても見る目(というか聴く耳、脳)が、12ET贔屓、12ET依りの発想になってしまう、ということです。そこを「断ち切る」必要があるのではないか、ということです。そのためにはこのような一見「過激」な活動も必要なのではないか、ということです。
by koten (2012-07-05 22:57) 

Enrique

思い込んだらダメみたいですけど,あと何回書きますが,理論だけというのならそれはそれでいいでしょう。
では弦楽合奏や管楽器はどうしているんですか?
これから記事を読んでいた第で,「切り取られた純正律」の意味を理解して下さい,分割鍵盤ってなんだったんですか?
言いたくはないですが,12音で考えてて12ETを批判出来るんですか?
by Enrique (2012-07-05 22:57) 

koten

>弦楽合奏や管楽器はどうしているんですか?
・・禁則五度の部分で修正する(はずだ)ってことですよね要するに。

>分割鍵盤ってなんだったんですか?
・・・「異名異音」について「代用」するのを潔しとしない思想の現れですよね。

一方で、クラシック鍵盤楽器曲の「楽譜」を解析してみると、
①禁則五度を避けて曲を作るパターン(パーセル、フィッシャー)
②禁則五度部分で「トリル」を付ける(強要する)パターン
③展開させて四度にしたり、上下を離して「緩和」するパターン
④あえて禁則五度を鳴らして「勝負」しているケース
などなど、作曲者の「血なまぐさい努力」が伺える訳ですよ。
 私は「実演者」として主にこっちの方を研究したいと思っているんですよ。

 一方で、「二段鍵盤」楽器なら、「異名異音」や「22セント高いA音を臨時に出すこと」だって実現可能なことは分かっているんです(「上の人」は誰もやろうとしなけいど(笑))。なので、これもその内やろうとは思っているんですよ。でも今は出来るだけ12音で頑張りたいと。実際、「現存する」鍵盤楽器用の曲の楽譜は、殆どが12鍵盤用の曲と思われますし。

>12音で考えてて12ETを批判出来るんですか?
 出来るでしょ。だってキルンベルガーvsマールプルクの音律論争だって、既に分割鍵盤が廃れて「12音で考えている」時代でしたし。
by koten (2012-07-05 23:13) 

koten

で、上記の内一番興味があって探すのが「ワクワクする」のが、
④あえて禁則五度を鳴らして「勝負」のケース
なんですよ。

これって鍵盤楽器やフレット楽器等の「固定音程」楽器独自の発想だろうし、ここに何か「ロマン」を感じるというか「発想のコペルニクス的転換」が伺えるというか、、、、ソルの後半勝負の「不協和音」もこれに近いノリを感じる訳です。協(快)和音だけが音楽ではない、不協(不快)和音を如何に上手く使えるかが芸術家の腕の見せ所なのだ、という作曲家からの「メッセージ」を感じる訳です。

 「あくまで美しい和音だけ鳴らし続ける」というのもそれはそれで良いのかも知れませんが、どうも西洋音楽の「本流」はそうでないように思えるのです。分割鍵盤が結局は廃れてしまったのもその辺に理由があるのかと。

 なので、分割鍵盤衰退に関しては、未だ自分の中では「陰謀」説までには至っていないですね。
by koten (2012-07-05 23:31) 

koten

なので、現在の現代人の耳では、

④あえて禁則五度を鳴らして「勝負」のケース
なのに、「それが正当に評価されていないんじゃないか?」と感じるんですよ。ここが凄く歯がゆいところです。

 一方で、自分も未だ未だ自分の「感性」を磨かなければならないと感じており、そのためには例えば「古楽の音律」でルネサンスやバロック時代に使われていたと説明されている、各種のミーントーン(特に複雑な比率でコンマ分割されたもの)の和音や旋律が「自然な響き」に感じられるくらいには自分を「調律」しなければイカンなと思ってます。

by koten (2012-07-05 23:38) 

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