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(続編は新ブログに!) ピタゴラス律に対する「素朴な疑問」 [なんちゃって音楽理論]

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 【序論】種々の音律に対する現在の所感:

純正律:「自然発生的な」、言い換えると「一番偉い」音律、「全ての音律の源」、「全ての調性・和声音楽の源」、「普遍的」、「永久不滅」、「本来『標準』かつ『基準』音律の地位にあるべき」・・等々

その他の音律:純正律から派生したものである。

でも現状は?
 →何故か「ピタゴラス音律が出発点である」的な論調がやたらと目立つ。
  現在の日本製の高級電子チューナー(例えばOT-120)には、ピタゴラス律はプリセットされているのに、何故か純正律がプリセットされていない。
  (12ET値±14セントの位置に目盛り(指標)を付ける「純正長3度支援」と同じように、ピタゴラス値±22セントの位置での「シントニックコンマ支援」目盛りを付けてもらえるだけでも随分助かるのですが。)
   その他、不満を挙げれば本当に切りが無いほど出てくる現状・・一体誰の仕業なの?

       
 【第1部】ピタゴラス律に対するぶっちゃけた所感
 ピタゴラス律:純正律の構成要素の内の「純正5度」だけを「切り出し」て「単に(悪い言い方をすると「機械的に」)並べた」ものに過ぎないのではないか? という「素朴な疑問」が(音律を勉強すればするほど)沸々と沸いてくるのは私だけであろうか。
 それが故に、並べれば並べるほど、全ての調性・和声曲における支配音である基音(特に弦の開放音)との一体性(協和性)が無くなっていく(つまり「楽器が鳴らなくなってくる」)。
 →これって調性・和声曲の「音律」としてどうなの? という「素朴な疑問」が・・・。
    (ひそひそ・・そもそも「立派な音律」、「普遍的な音律」であるならば、ミーントーンの出現(いわば情報リーク)くらいで一旦「駆逐」されたり一旦は「忘れられ」たりしないのでは? との「素朴な疑問」が。)

 【第2部】「旋律用7音音階」としてのピタゴラス律に対する「素朴な疑問
 ネット上に乱立する「47(ヨナ)抜きのペンタトニック旋律はピタゴラス律から発生した(故にペンタトニック旋律の曲はピタゴラス律を使うべき)」なる説→明らかに間違いであろう(12ET擁護のためのディスインフォメーションの可能性あり)との思いが日ごとに増していく今日この頃。
 理由:47(ヨナ)音は、ピタゴラス律(的発想)では「いとも簡単に発生」する。
    つまり、1(基音ド)→純正5度(ソ)→2度(大全音のレ)→6度(ヨーロッパ音階のラ)→ピタゴラス長3度(基音と協和しないミ)→次が7度のシ(つまりヨナの内の「ナ」音)
 「協和しないミ」を使いつつ、導音として有用な次のシ(ナ音)を使わないなんてことが果たしてあり得るのか? という「素朴な疑問」に、(上記論者は)何も答えられないはずである。
 一方の4度(ヨナの内の「ヨ」)音は、基音ドの「下」に純正5度を1つ加える(つまり「並べる」)だけで、簡単に作れてしまう。
 参照サイト:
http://onkan.exinfo.biz/750/post_38.html

 これに対して、純正律を構成する源である自然倍音列の「低次倍音」には、4音も7音も無い!(下記url参照)←こ、これは!!!(但し、今の12ET擁護(ないし至上主義)の音楽教育システムが変わらない限り、「試験」には出ないかもw)
http://labocho.web.fc2.com/mt/harmonicseries.htm
 だからこそ、シ(長7)の音は、最初は音階構成要素ではなかった。かつ、シよりも「シ♭(短7)」の方が先に発見された/使われ出した(というのが「自然」な考え方なのでは?)。

 以上を総合すると、47(ヨナ)抜きのペンタトニック旋律は「純正律」から発生した。故に、ペンタトニック旋律の曲は純正律で歌うべき、というのが「自然かつ説得力のある」説ではないか、との思いが、音律を勉強すればするほど日増しに強くなっていく次第。
(ぼそぼそ・・・大体さぁ、ペンタトニック旋律使う曲の多くは「民謡」とか「民族音楽」とかじゃない、、、まずはそこに「気付く」ことから始めないと。)
 ※ 現在、旋律楽器関係のサイトでは、ピタゴラス律は「自然発生的な民族音楽や民謡の音階に近い」という説が取り上げられているようだが、音律論の分野では「音階に近い(ニア)」と「音階である(イコール)」とでは天と地ほどの差があることを意味する。逆に言うと、上記説は、ピタゴラス律が自然発生的な民族音楽や民謡の音階「ではない」ことを「自白」してしまっている(これが本当の「ニアミス」というやつである)。

余談:
 そもそも、ピタゴラス律(その旋律)を活用するのであれば、「主音と協和しない長3度(ミ)」を使う長調(旋律)よりむしろ、純正律の構成要素である「狭い短3度(ミ♭、いわゆるピタゴラス短3度)」を使う短調(旋律)を積極的に使うべきであり、「その方が自然」だよね? という発想が「自然」に沸いてくるはず、、、、でも、何故かこの点(言い換えると、ピタゴラス律を使用した曲は、歴史的には長調よりも「短調の方が多い」はずなんじゃないの?という視点)が注目ないし「検証(調査)」されることはない・・何故でしょうか?

蛇足:
「万物は数なり」と唱え(三平方の定理まで発見し)た(偉大なる)ピタゴラスは、純正律の色々な(もしかすると「あらゆる」)構成要素を「切り出し」て「並べる」実験をしたはずである。
(理由:もしも私がピタゴラスの立場だったら絶対そうすると思うから。)
 例えば、ピタゴラス自身が非常に重視した「5」の数の神秘性を検証するために、「純正長3度だけを積み重ねて音を出す」実験とか。

※ピタゴラスが行った実験に関し、いわゆる「大衆向けの書籍」では、錘(おもり)付きの多弦の楽器とともに描かれた有名な絵、これですね、
ピタゴラスの楽器.jpg
 この絵に基づいて(鵜呑みにして?)、「弦に付ける錘の重さの比率を変えることによって」音程がうんぬん・・と説明されている記述が多いのですが、こんな面倒な実験をする前に、まずは「モノコード(単一弦)」を「整数比で分割」して鳴らす実験をやるだろうってことくらい、常識人なら分かりそうなものですよね。

下記サイトの記述を引用させていただきますと、ピタゴラス(B.C.582頃~B.C.500頃)は、http://www.geocities.jp/hukuhuku_pii_623/newkodai.htm

---引用開始---

音程の協和度を弦の長さの比で説明したと言われてます。(後世の音楽理論に貢献)

---引用終わり-----
 

とあり、小生、「そりゃそうだよね」と納得してます。
url及び記述の引用が多くて恐縮なのですが、下記URLの記事では、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~aya-yu/index2.htm

---引用開始------------
古代の壁画や彫刻等の資料から、BC.3700年以前からギターに似た楽器はできていたと言われています。
---引用終わり------------
 とあり、要するに、ピタゴラスが音律に関する何らかの発表や提言等を行うよりも「遙か昔」から、古代の人々は「実践」して来たんですよ、楽器演奏を。 では「ピタゴラス以前は何の音律使っていたんでしょうかね?」ってことですよね。

【第3部】予めの防衛線(汗):
 今回のレジュメに対しては、(ピタゴラス律を非常に重視している現代の)擦弦楽器奏者からのクレームが来るかも知れないので、予め「予防線」を張っておきたい。

 純正律普及活動の第一人者でありVn奏者の(故)玉木宏樹氏がツイッターで「ヴァイオリンは本来ピタゴラス律的な楽器である(理由:調弦がピタゴラスだから)」旨をつぶやいていることは当方も承知しています。一方で、玉木さんは名著「古楽の音律」の復刊を希望されていましたので、この本の内容も熟知されていると思います。
 この本には何が書いてあるか、というと下記urlの記事な訳です。
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/2010-07-01
---------------------
1 少なくとも18世紀中ごろまでは、ヴァイオリニストは一種の「純正律」ないし中全音律で演奏していた。 実際、
 1)彼らの長3度は純正であった
 2)シャープ音は、それと異名同音のフラット音より低く演奏された(たとえば和音ロ-嬰ニの嬰ニは、和音ハ-変ホの変ホより低かった)
ことを物語る証拠がある。
---------------------
ってことですよね。
 この本を読めば読むほど、ヴァイオリンは本来「純正律的な楽器である」と思えてしまうんですよね・・・。
 ただ、「現代」の(モダンの)オケでは「♯音が高く♭音が低い」ピタゴラス的な音階を使用しているでしょうから、どうしても「ピタゴラス律寄りの考え方」になってしまうんだろうなぁ(まぁ仕方ないですよね)、とは思います。
 でも、どうしても「思い」がよぎってしまうんですよ、、、「それで楽器が美しく鳴るの?」、「それって当時の名工(ストラディバリ「一族」、グァルネリ「一族」、アマティ、その他大勢)の想定範囲を逸脱しているのでは?」、「それで奏者は『音楽的に満足』しているの?」(ひそひそ・・それでは楽器が美しく鳴らないからこそ、音楽的に満足出来ないからこそ、大幅改造をしたりヴィヴラートを掛けているのではないですか? )って。

 以前に某有名オケの元主席チェロ奏者の方とお話をする機会があって、その方は、平均率(←律?)のピアノとアンサンブルする時は「ピアノの音程を一切無視」されるんだそうです(汗)・・・で、思わず「それって「アンサンブル」と言えるんでしょうか?」と激しく問い質したくなった心からの衝動をぐっとこらえてw、「ではどのような音律で演奏されるのでしょうか?」と質問したところ、(若干怒ったような口調で)「純正調!」と仰ってましたので、ご参考までに(本当、これ「実話」ですからね)。

【第4部】「調弦がピタゴラス」=「ピタゴラス律的な楽器」のロジックは正しいのか?
 ヴァイオリン(属)の楽器の弦は「4本」ですよね。であれば、調弦時に純正5度(ピタゴラス5度)を積み重ねる回数は「3回」ですよね。
 つまり、ヴァイオリンならば、
   低音G弦
     ↓
  ピタゴラス5度調弦(1回目)
     ↓
          D弦
     ↓
  ピタゴラス5度調弦(2回目)
     ↓
          A弦
     ↓
  ピタゴラス5度調弦(3回目)
     ↓
          E弦

 で調弦終了ですよね。
 何が言いたいのかというと、ピタゴラス5度(純正5度)の「3回積み上げ」では、未だ「純正律の守備範囲」を脱していないんですよ。「4回積み上げ」て初めてピタゴラス長3度が発生しますので、ここで初めて「ピタゴラス的楽器」と言えるのではないかと。そのためには弦が「最低5本」必要ではないかと。ちなみにG弦とE弦の開放和音はピタゴラス「短」3度(正確にはオクターブ離れた長6度)ですが、この狭い短3度(広い長6度)は純正律の構成要素ですし、そもそも両端の弦同士ゆえ通常は同時には鳴らない(鳴らすことができない)ですよね。

 これに対して、でも「純正律ならば、通常はDAは22セント狭くするのでは?」との疑問が生じますが、タルティーニなどは実際そうしていたようですし(上記url記事参照)、そもそもそれは「ハ調」を基準とした考え方であって、実際、ヴァイオリンってハ調よりも「ニ調」の方が圧倒的に弾きやすい(はず)ですよね。
 つまり、ヴァイオリンの開放弦のGDAEは、
 これをハ長調読みすると「ソ レ ラ ミ」で、ハ短調をも意識して「度数」読みすると「Ⅴ Ⅱ Ⅵ Ⅲ」ですが、
 ニ長調読みすると「ファ ド ソ レ」で、度数読みすると「Ⅳ Ⅰ Ⅴ Ⅱ」なんですよ。つまり、主(ルート)音4度(「下」属音)、5度(属音)、大全音という音律の骨格が、全て開放音かつ「純正」で用意されており、しかも、西洋では大問題だったⅥ(ギリシャ音階vsヨーロッパ音階)や長短3度などの音程は奏者の音楽性に委ねられている訳ですよ・・・これ、実に素晴らしい調弦じゃないですか(これ書いている内に、長年放置状態にしていた家のVnを弾きたくなって来ました(笑))。
  ですので、タルティーニでもニ長調や二短調の曲を弾く時は全て純正5度調弦しただろう(言い換えると、「弾く曲の調に合わせて調弦を調性じゃないや「調整」していただろう」)ことが容易に想像できる訳です。

【第5部】では、弦が6本あるギターはどうなのか?
 ギターやリュートなどのフレット楽器では、5度調弦でなく専ら「4度」調弦を採用していますが、全ての隣接弦同士が4度調弦であれば「ピタゴラス的」楽器と言えそうですよね。でも、実際には、4回積み重ねる手前で「3度」調弦になるじゃぁないですか。つまり、ピタゴラス的な連鎖が(まるでピタゴラスの意思?を拒絶するかの如く)途中で「切れる」んですよ。

 こういったことを考えている内に、少なくとも「弦楽器」は、和声楽器か旋律楽器かの別を問わず、殆どが「純正律対応」の楽器なのではないか、「ピタゴラス的」楽器と言えるものは無い(あっても極く少数な)のではないか? などと悶々と(笑)考えてしまう訳ですよ。

【第6部】では、西洋以外ではどうなのか?
 その後色々と調べたところ、「ウード」というアラブの楽器(フレットの無い撥弦楽器)は、ピタゴラス的な調弦を行うようです。
 つまり、下記wikiの記事にあるように、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%89

常用の調弦は、低音側から
G A D G C F
とするようで、これならばA-D-G-C-Fの5本の弦は4度調弦ですので、ピタゴラス的な連鎖が4回続くことになります。
 但し、藤枝守氏の「響きの考古学」では、「アラブ人はピタゴラス音律には満足出来ず、ウードの調弦を通して、あらたな音程(中立音程)を求めて模索が続けられた」旨が説明されています。それと、フレットレスの楽器で指で押さえながら弾く場合、開放音に対してあまり複雑な比率の音程を使うと、そもそも楽器が鳴らないのではないか?との素朴な疑問が生じます(上記書籍では、この視点での考察が無いのが残念なところです。)

 さらに、音楽之友社により最初に出版された「響きの考古学(音律の世界史)」の巻末には、インドの音律(二十二律)のデータが載っていて、ここではピタゴラス律の音程も構成要素になっているのですが、純正律の音程も勿論使われていて、さらに中立音程(27/20,520セント)も使われていることが分かります。

(続く?)
続編は、新ブログの下記urlで書きました。
http://justintonation.blog.so-net.ne.jp/2013-06-11


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koten

人気ブログランキングのクリックアイテム、苦節○年にしてようやっと貼り付け表示させることができました(汗感涙)。
 下記サイトには感謝感謝です。m(_ _)m
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by koten (2013-05-24 13:13) 

Ichikawa

長調から見たヨナ抜きドレミソラの場合はレで終わる曲が多い。かもめかもめ、ひらいたひらいた、君が代(途中転調あり)
など。
短調から見たヨナ抜きラシドミファの場合はほとんどの曲はシかミで終わる。うさぎうさぎ(導音レ付きでミで終わる)など
。月の砂漠はソが一回もでてこなくてレが出だしあたりで一回出てくるだけだからこれに近いのかな。
東川清一の本でこういう話を読んでとても楽しかった。
20年ぐらい前、平島達司の本を読んだときマンドリンのフレット配置を古典音律にしてみたいと思ったが、思っただけだった。実際にギターのフレットを古典音律にして弾いているとはすばらしい。
by Ichikawa (2013-06-27 03:29) 

koten

Ichikawaさん初めまして、コメントありがとうございます。( ^-^)_旦~

レで終わる曲は大抵レで始まってますよね、、ということは、曲の基音(支配音)がレですので、基音からの長3度音は無い、、、ということは「ピタゴラス律でもOK」ということが言えて、かつ、純正律の場合はレミが小全音になって歌いにくいことを考慮すると、むしろピタゴラス律が「想定音律」と言えるかも知れませんね。ピタゴラス律でネックとなり得る「ドミ(またはミド)」の進行がメロディーになければ、ピタゴラス完全適応曲ってところでしょうか。

 「君が代」につき、5つに分けてみると、
 第1部:レドレミソミレ
 第2部:ミソラソラレドラソ
 第3部:ミソラ レドレ
 第4部:ミソラソ ミソレ
 第5部:ラドレ ドレラソ ラソミレ

 で合ってますかね、、、ううむ、見事なまでに「ドミ(またはミド)」進行が無いですねぇ。

 ラシドミファの5音階曲についても同様に書き出して研究してみると面白そうですね(笑)、、、ともあれ、こうやってメロディーを階名で書き出してみると、色々と勉強になりますね(しみじみ)。

 総じて、ピタゴラス律を適用すると、曲の「緊張感が高くなる」傾向があるように感じます(逆に言うと、「緊張感に溢れた雰囲気の曲=ピタゴラス律」の法則(原則)が成立し得るように思われます)。
 で、現代のストレス(過多)社会に生きる小生としては、やはりもう少しリラックスできる音律を使って演奏したいなぁというのが最近の所感ですね。

>実際にギターのフレットを古典音律に
・・・これ、本当おすすめですよ。皆さん是非騙されたと思って試して欲しいです。

by koten (2013-06-27 12:53) 

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