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(随時更新?)12等分平均律の「特殊性」について思いを巡らしてみる [12平均律について]

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昼休みで時間が無いのでレジュメ形式で(汗)

~なぜ、12等分平均率(←律?)「だけ」が他の音律と違ってズバ抜けて「特殊」なのか?~
~なぜ、12等分平均率(←律?)「だけ」が他の音律と違って批判対象となるのか?~


要点:

一般の古典調律:音程を精確に近づければ近づけるほど「美しく」なる(楽器も人間も「幸福」になる)

12等分平均律:音程を精確に近づければ近づけるほど「汚く」なる(楽器も人間も「不幸」になる)
 ⇒だからこそ、
 ①電子楽器(DTM含む)の世界では、各メーカー毎に12音の音程設定が違う。なぜなら、精確な音程だと汚くて使い物にならないから(というのが専らの噂)
 この結果、異なるメーカー毎の電子楽器同士でアンサンブルをしても「音程が正確には合っていない」事態が生じる。
 ②モダンピアノの調律の世界では、各調律師毎に調律結果(つまり12音の高さ設定)が違う。なぜなら・・・?
 この結果、(仮に)それぞれ異なる調律師が調律した複数台のモダンピアノ同士でアンサンブルをしたら、「音程が正確には合っていない」事態が生じる。

 ⇒つまり12等分平均律の世界では、実際に適用しようとすると「楽器毎にバラバラ」な音程になってしまう。
 こんなモノが、つまり音の高さを『規律』できていない調律法が「音律」の名に値するのか?
音程を精確に近づければ近づけるほど「汚く」なり、楽器も人間も「不幸」になるようなモノは、そのイデア(idea)が間違っている(正気の沙汰ではない)のであり「悪※の音率(←律?)」と批判されても仕方がないのではないか。

このように、色々な視点で考察すればするほど、この「12等分平均律」という調律法は、『人間を幸福にできるポテンシャルを持っていない』ことがハッキリし、それどころか『人間を幸福にすることを目的としたものではない』という結論にさえなってしまう。

 ぶっちゃけ、ここまであからさまに酷いモノだと、「フォローのしようがない」のが実感なのですよ、うん。

 なので、当ブログでは今後はこの音律(?)を「12等分平均率(←律?)」を筆頭(笑)とした様々な批判的用語で表現しようと思ってます。
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