「はじめに1本の弦ありき」~リセット?記念の空想詩~ [なんちゃって音楽理論]
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空想小説「はじめに1本の弦ありき」
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神は初めに「1本の弦」を神の子人間に与えた。
神は人に言った。「これで幸せになってみなさい」、「あなたがどれだけ幸せになることができるか、天から見とどけてあげよう」と。
人は1本の弦の両端を両手で伸ばし、他の人に弾いてもらうことで音が出ることに気がついた。
間もなく人は、1本の弦の片端を壁などに固定させることで、自分一人で音を出すことを覚えた。1本の弦の両端を弓矢の弓に結び付けて狩りを行う人もいた。
弓矢の狩りを見ていた知恵のある人は、丈夫な板の上に、弦全体が浮くように1本の弦の両端を固定させることを考え付いた。これで、安定した音程が出せるようになり、人の両手が自由に使えるようにもなった。 この画期的な板は、後に「指板(fingerplate、fingerboard)」と名付けられた。
人は、「もっと大きな音を出したい」と願った。人は、1本の弦を箱に付けたり、板の下に箱を付けたりすると音が大きくなることに気がついた。この画期的な箱は、後に「共鳴箱」と名付けられた。
人は、「もっと色々な高さの音を出してみたい」と切実に願った。知恵のある人は、弦の張り具合を自由に調節する道具を考え出した。この道具は後に「ペグ(peg)」と名付けられた。
さて、両手を自由に使えるようになった人は、弦を分割する位置を押さえながら弾くと、最初の音(基音)に対して秩序と調和のある音の高さ(音程)になることに気付いた。人は、これらの音の高さに「神」を見出した。人は「これらの音をいつでも出せるようにしたい」と強く願った。
人は「その位置」に印を付け、板の上に細い棒を付けた。この棒はフレット(fret)と名付けられた。
フレットは色々な位置に付けられた。どの位置にフレットを付けるかが最も大きな問題だった。この位置により人の文化が分かれて行った。
色々な実験が行われただろう。
フレットは、まずは弦を2分の1にする位置に付けられただろう(オクターブの発見)。
弦を3分の1にする位置にも付けられただろう(純正5度の発見)。
弦を4分の1にする位置にも付けられただろう(純正4度の発見)。
弦を5分の1にする位置にも付けられただろう(純正長3度の発見)。
弦を6分の1にする位置にも付けられただろう(純正短3度の発見)。
・・・・・
そして遂に人は音階を作った!
人は神に感謝し祈った。「神さまありがとうございます。 私たちは貴方から与えられた1本の弦で音階を作ることができました。これから私たちは、この音階を使って天の世界を表現し天に捧げたいと思います。これからも私たちを暖かく見守っていてください。」
人は1本の弦から生まれた音階を使って、1本の弦が張られた音響具(楽器)で様々な曲を作り、演奏した。
この楽器は沢山作られ、互いに同じ高さの音に調節され、同時に奏でられることで多くの人を幸せな気分にさせることができた。でも、一人一つ以上この楽器を持つことが許されなかったので、一人のときには一つの音しか出すことができなかった。
そのうちに、人は「一人で奏でるときも、大勢で演奏するのと同じような幸せな気持ちになれれば良いのになぁ」と思うようになった。そして人は考えた。「一つの楽器に張る弦の数を増やせば、もっと幸せになれるに違いない」と。
(ここで昼休み終了(汗)・・以下続く?)
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空想小説「はじめに1本の弦ありき」
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神は初めに「1本の弦」を神の子人間に与えた。
神は人に言った。「これで幸せになってみなさい」、「あなたがどれだけ幸せになることができるか、天から見とどけてあげよう」と。
人は1本の弦の両端を両手で伸ばし、他の人に弾いてもらうことで音が出ることに気がついた。
間もなく人は、1本の弦の片端を壁などに固定させることで、自分一人で音を出すことを覚えた。1本の弦の両端を弓矢の弓に結び付けて狩りを行う人もいた。
弓矢の狩りを見ていた知恵のある人は、丈夫な板の上に、弦全体が浮くように1本の弦の両端を固定させることを考え付いた。これで、安定した音程が出せるようになり、人の両手が自由に使えるようにもなった。 この画期的な板は、後に「指板(fingerplate、fingerboard)」と名付けられた。
人は、「もっと大きな音を出したい」と願った。人は、1本の弦を箱に付けたり、板の下に箱を付けたりすると音が大きくなることに気がついた。この画期的な箱は、後に「共鳴箱」と名付けられた。
人は、「もっと色々な高さの音を出してみたい」と切実に願った。知恵のある人は、弦の張り具合を自由に調節する道具を考え出した。この道具は後に「ペグ(peg)」と名付けられた。
さて、両手を自由に使えるようになった人は、弦を分割する位置を押さえながら弾くと、最初の音(基音)に対して秩序と調和のある音の高さ(音程)になることに気付いた。人は、これらの音の高さに「神」を見出した。人は「これらの音をいつでも出せるようにしたい」と強く願った。
人は「その位置」に印を付け、板の上に細い棒を付けた。この棒はフレット(fret)と名付けられた。
フレットは色々な位置に付けられた。どの位置にフレットを付けるかが最も大きな問題だった。この位置により人の文化が分かれて行った。
色々な実験が行われただろう。
フレットは、まずは弦を2分の1にする位置に付けられただろう(オクターブの発見)。
弦を3分の1にする位置にも付けられただろう(純正5度の発見)。
弦を4分の1にする位置にも付けられただろう(純正4度の発見)。
弦を5分の1にする位置にも付けられただろう(純正長3度の発見)。
弦を6分の1にする位置にも付けられただろう(純正短3度の発見)。
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そして遂に人は音階を作った!
人は神に感謝し祈った。「神さまありがとうございます。 私たちは貴方から与えられた1本の弦で音階を作ることができました。これから私たちは、この音階を使って天の世界を表現し天に捧げたいと思います。これからも私たちを暖かく見守っていてください。」
人は1本の弦から生まれた音階を使って、1本の弦が張られた音響具(楽器)で様々な曲を作り、演奏した。
この楽器は沢山作られ、互いに同じ高さの音に調節され、同時に奏でられることで多くの人を幸せな気分にさせることができた。でも、一人一つ以上この楽器を持つことが許されなかったので、一人のときには一つの音しか出すことができなかった。
そのうちに、人は「一人で奏でるときも、大勢で演奏するのと同じような幸せな気持ちになれれば良いのになぁ」と思うようになった。そして人は考えた。「一つの楽器に張る弦の数を増やせば、もっと幸せになれるに違いない」と。
(ここで昼休み終了(汗)・・以下続く?)
ずっと”一絃の琴”が気になっています。(宮尾登美子さんの小説で)
演奏しているところを初めて見てみましたがこんな感じなのですね~。
http://www.youtube.com/watch?v=mi8rn6FIRVE&feature=related
最近私はチェンバロ奏者の自作の楽器での演奏を聴きました。おまけに弾かせてもいただけました!
by Cecilia (2011-10-25 17:18)
Ceciliaさん、nice&コメントありがとうございます。((( ^_^)且~~ ササ、お茶 でも
チェンバロ弾かれたのですね。それは素晴らしい!
それと、情報ありがとうございます&画像見ました。”一絃の琴”、NHKドラマでしたっけ。機会があれば観てみたいですね。一絃琴、私も初めて見ましたが、良く鳴る楽器ですねえ(感心)。和楽だと、このような少ない弦の楽器+歌との合奏が非常に良くマッチしてますよね。対して西洋音楽では弦の楽器は「多弦化の道」を進むことになるわけですよね、、、これは対照的で興味深いですね。 一絃琴の演奏、最後の音がグリッサンド風に下がっていくところ、感動的で迫力ありますね~。本当、西洋音楽と対照的ですね。
by koten (2011-10-25 23:32)