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20110302追記:週刊(習慣?)音律マガジン第7号-「結局あの音律は何なのか?」特集 [12平均律について]

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投稿ノルマ?の時間がやってまいりました(汗)

 以下の記事は、一年のアカを落とす「除夜の鐘」用(笑)として昨年暮れに書いていたものですが、年末年始に「koten家一家風邪騒動」でブログを書くゆとりが無くなってしまったため(汗)、今回の特集?記事となりました。

 ここのサイト(wiki)の「平均律」の説明では、平成23年1月9日現在、
グスタフ・マーラー:「ミーントーンの調律がされなくなったことは西洋音楽にとって大きな損失だ。」
マックス・ヴェーバー:「ピアノで音感訓練を行なうようになった事で精微な聴覚が得られないことは明らかだ。」『音楽社会学(1910年頃)』
 旨の事だけ書かれていますが、歴史上の偉人で平均律(12等分律)を批判した人が過去に(それこそ数え切れない程)沢山いたことは改めて書くまでもありません・・・しかし世の中、書かなければ伝わらないこともありますので(笑)、ここで、一冊の本(正確には上下巻の2冊ですが)に記載されている平均律批判情報を引用してみたいと思います。
 なお、引用の元本は、『音律について(H.ケレタート著、竹内ふみ子訳、シンフォニア)』です。

-----歴史上の偉人による平均律批判関係の言葉------------

①マッテゾン:「12の半音がみな同じ大きさであることは、決して音楽のためにはならない。すべての半音が純正で好ましく響くためには、半音には大小がある方がよい。その大小の程度は好ましく響く範囲に留めるべきである。しかし、半音をすべて同じ大きさにすれば、みな汚くきこえてしまう。」 (「音律について」上巻、第47頁)

②キルンベルガー(1771年):平均律によって「実際なにも得られないばかりでなく、非常に多くのものを失った。」、平均律は「作曲家に長調にするか、短調にするかの選択肢しか残さない。」(同下巻、第78頁)

③フォルケル:バッハの弟子たちは「どのような音程を使ってもよい。ただし、音楽的に快い響き、あるいは心の奥の完璧で明瞭な描写・・・--正しい和声が、探し求められるのは、すべてそのためであるが--を損なうような音程は使えない。」(同上巻、第56頁)

④(平均律を断固拒否した)テンペルフォール:平均律は「特別に合わせにくい」、「あらゆる音律の中でも最悪のものである」(同上、第61頁)
⑤アードルングが1768年に残した言葉:平均律は(調律するのに)「骨が折れて時間のかかるもの」
⑥マールプルクが1776年に残した言葉:平均律は(調律するのに)「モノコードが必要である。」(同上、第62頁)

⑦J.S.ハレ(1779年):「平均律の3度は大げさ過ぎて、耳に負担を感じさせる。これでは、絶対に耳障りである」(同下巻、第33頁)

⑧ベートーヴェン:(ヴィルトゥオーソの「徒競走」の軽薄さに対する批判として)「指の滑らかな動きによってこうした人々からは知性と感覚が流れ去ってしまうのである。しかし平均律の音程の単純さは、時折、肉体的な限界まで能力を競うテンポの決定に重大な影響を及ぼしたに違いない」(同下巻、第160頁)
⑧’ベートーヴェン:「各調性には固有の性格が備わっているのだから、自分の歌曲は移調して歌わないで欲しい」、「歌曲の作曲にかかる前にどの調性がその状況に最もふさわしいかについて熟慮すること」(同上巻、第73頁)

⑨W.プライヤー:「平均律は通常の聴感覚を損なわせ、純正なイントネーションに対する感覚を鈍らせる」(同上、第80頁、カール・アイツの「数学的純正音律(1891年)」の序文における平均律の使われ過ぎへの反対表明)

⑩マックス・プランク(1894年):「例えばベルリンの合唱団は専ら調整した音律で歌い、ピュタゴラス音律を使用している形跡は全く見られない。一様に平均律にしがみついていれば、無論、音楽表現にめりはりがなくなってしまう。」(同上巻、第80頁)

⑪ゾルゲの平均律批判:低音域の3度は「あまりに耳障りである。これは杓子定規の音律に由来するものであり、長3度はその犠牲となっている。」(同上巻、第87頁)

⑫H.ツァング:「ひどい3度の絶叫」、「非音楽的な人の耳をも汚すような叫び」(同頁)

⑬テオドール・ヴィットシュタイン:(以前の音楽の3度及び6度の連続が鈍く、つまらないばかりでなく、まさに無意味となってしまった事実に対して)「これは平均律の「テロ」である。」(同頁)、「平均律はまさに私たちのどのような音楽にとってもテロリスト同然である(1888年)」(同下巻、第75頁)

⑭ハウプトマン:「平均律は絶対に退けなければならない」(同頁)

⑮ヘルムホルツ:「(平均律3度の結合音は、)何らかの旋律進行によって導入され得るはずの転調、クロマティック音階の音、不協和音のどれにも適さない。ただ狂った、誤った音として聞こえるのみである。」(同頁)、 「『乾いた大胆な不協和音を持つ』ポリフォニックな作品は、平均律に合わせられた閉管のストップを使用して演奏すると、曖昧で、退屈で、特徴もエネルギーもないように聞こえる」(同、第88頁)

⑯ガルブソフ:中全音律では現象として聞けばよかったものを、平均律においては知的で柔軟な正しい聞き方で補わなければならない。なぜなら、「機械的に調整された音律システム」と「自然に構成された立体的で感性に基づく音律システム」とは異なるからである。(同頁)

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・・・などなど、他にも色々な人の批判文章があって、ここではとても書ききれないですね(汗)。
 これまで検討してきたように、西洋のルネサンス以降の音楽、特に鍵盤楽器曲は、ミーントーン(中全音律)をベースとして発展してきたものであることは間違いないでしょう。そして、歴史に名を残した偉大な作曲家は皆「純正3度が大好きだった」のではないでしょうか。

 現代では、平均律(12等分律)が台頭した原因について、「産業革命以降の合理主義的思想に基づくもの」とする説が主流のようですが、私はどうもそうは思えないんですよね。「転調の自由さ」という点では確かに合理的な音律なのかも知れませんが、平均律(12等分律)は上に引用したように、調律するのに「骨が折れて時間のかかるもの」であり、音楽的な実体的な側面のみならず、調律という実践的な側面からも合理的な音律とはとても思えません。
 (※晩年に平均律擁護者となったラモーが、「自分の芸術的インスピレーションが枯れてしまった」ことを嘆いたのは、「何かを象徴している」気がしてなりません。)

 以前書いたことの繰り返しとなりますが、私見としては、平均律(12等分律)は、結局、「帝国主義下、戦時下に『上』から強制された音律ではないか?」というのが所感です。 要するに、「(この暗黒時代に)純正3度なんて『贅沢』だ!」っていうのが実態なのではないでしょうか。
 (不協和音の曲ばかり書く理由を尋ねられたシェーンベルクは、「自分だってできるなら調性で音楽が書きたい。しかし三和音を書くことを、歴史が私に禁じているのだ」と述べたそうです。)
 そして、21世紀はもはやそういう時代では無いのだから(ですよね?)、この世界を再び「暗黒時代」としないためにも、音楽的に益のない時代遅れの音律は、少なくとも「クラシック音楽」の分野では出来るだけ避けた方が良いのではないでしょうか? というのが最近の所感です。

(余談1:クラシックギター倶楽部時代の大先輩&クラシック曲の演奏が滅茶苦茶上手で学生時代に非常にお世話になった方から、今年も年賀状を頂いたのですが、「最近はジャズばっかりやっている」旨のメッセージが書かれていました。 そうですよね、平均律フレットギターをずっと使っていると最後にはそうなってしまいますよね・・・と、何か寂しいものを感じました。)

(余談2:最初に引用したマーラーの「ミーントーンの調律がされなくなったことは西洋音楽にとって大きな損失だ。」という言葉、何か私にとっては、ニーチェの「神は死んだ」の響きに近いものを感じるのですが、私、どこか変ですかね?(汗))

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平成23(2011)年3月2日追記:
このサイトの記事は凄いかも(汗)
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Enrique

平均律楽器は耳であわせることが難しいので,電子チューナが流行ります。
ヴァイオリンですら(専門家が平気で)平均律音程を言う表?社会。
しかし,却って心ある人は気づくわけですね。
現在古典音律の美味を味わうには,DTMやるか,生楽器なら自分で調律やるかしかない訳ですが,もう少し手軽に楽しめないものか。私も少しアイデアを暖めています。
3度に満たされない欲望をテンションコードやモード,音色,リズムなどに逃げているところはありますね。
by Enrique (2011-01-10 09:46) 

koten

Enriqueさん、nice&コメントありがとうございます。

>現在古典音律の美味を味わうには,DTMやるか
・・・そうなんですよ、特に、生楽器の人がDTMの世界の人に相~当遅れを取っているところ(更には「気付かない」ところ)が、見ていても~う、歯っっっがゆくて歯がゆくて(笑)

>私も少しアイデアを暖めています。
・・・おおぉ、これは期待してます(笑)。私、Enriqueさんがこっちの世界?にハマレば直ぐマエストロクラスに行けちゃう(逝けちゃう?)んじゃないかと真面目に思ってますので。
by koten (2011-01-10 12:31) 

夢笛myu

執念のネガティブキャンペーンといった感じですね(笑)
いえいえ私もまったく同感ではあります。
現在わが国で、幼児期に音楽を習い始める場合に大多数が(平均律の)ピアノで始めるのは由々しき問題だと思います。ヨーロッパのどの国の話であったか忘れましたが、幼児音楽教育においては音感(和声感覚)を育てるためにあえてピアノを使わない、という話を聞いたことがあります。あと、ふと気づいたのは、石造建築のような残響の長い空間で音楽を聴いたり歌ったりする経験の少ない我々日本人は、純正な音程の快感を味わう機会が少ない点で、なおさら不利なのかも知れません。
ただ現在でも、合唱や管楽器アンサンブルをやっている人々は、霞のかかったような平均律の世界とは違う、もう少し明瞭な世界で音楽をやっているのではないでしょうか。その事がまだ救いです。
by 夢笛myu (2011-01-10 19:59) 

Cecilia

娘たちに”絶対音感教育”なるものをした時期があります。kotenさんから批判されそうですね。(笑)自分の音感にコンプレックスがあるので、音感をつけたかったのですが。
ヴァイオリンは五度の響きで調弦していますが、自分の感覚に自信があるわけではありません。
でも一本一本チューナーで合わせるより良い感じだと思っています。最近やるようになったハープも基準の音だけをチューナーにしてあとは感覚で調弦するほうがやりやすいように思っています。
REIKOさんからも純正律を勧められました。
by Cecilia (2011-01-10 21:18) 

koten

夢笛myuさん、コメントありがとうございます。

>執念のネガティブキャンペーン
・・・うふふふ(←不気味?(汗))、なるほどそうかも知れませんね。こういう記事、私自身としては全く「ネガティブ」だとは思っていない(むしろ建設的でポジティブな意見表明だと思っている)のですが、この手のいわゆる不買運動的(汗)&周囲に「不作為」を勧めるものはネガティブキャンペーンの部類に属しちゃうんですかね・・・。平均律批判記事の「データベース化」というのは未だかつて誰もやっていないだろうと思われたので(笑)、今回それに近いことをやってみました。

>幼児音楽教育においては音感(和声感覚)を育てるためにあえてピアノを使わない
・・・これは凄い国ですね(感心)。そういえば、コールユーブンゲンの序文にも「正しい音程感覚を身に付けるために(平均律の)ピアノは使うな」というようなことが書いてあるようですよね。(下記サイトを参照しました。)
http://www.equal-shiki.com/archives/50192152.html


>純正な音程の快感を味わう機会が少ない点で、なおさら不利
・・・同感です。大昔、朝にどこかの施設の大浴場に入ったときに周りに誰も人がいないため、これ幸いとばかりに、密かに(?)大声で歌ってエコー効果を楽しんだ経験はありますが(笑)、まぁせいぜいそのくらいですよね、この日本では。

>合唱や管楽器アンサンブルをやっている人々
・・・古楽合唱団でテノールを歌っている知り合いの男性がいるのですが、やはり音程指導は相~~当に厳しいみたいですね。
ちなみに小生は、音楽教育は鍵盤楽器(確か電子オルガン)からスタートしまして、いわゆる「聴音」の訓練は受けたことがあるのですが、振り返ってみるとハーモニー(特に純正3度の出し方)の訓練を全く受けていないですね(ある意味「愕然」!)
 今思うと、音楽教育の最初に「純正3度の出し方(歌い方)」の訓練を受けたかったなぁ、と、痛烈に感じますね(汗)。というか、こういう指導をしているところがあるのであれば、今からでも習いに行きたいくらいです。

by koten (2011-01-10 22:23) 

koten

Ceciliaさん、nice&コメントありがとうございます。

>娘たちに”絶対音感教育”なるものをした時期があります。kotenさんから批判されそうですね。(笑)
・・・いえいえ、私も聴音の訓練を受けたことがあり、それもそれなりに役に立っているように思うし、現在子供に何も音楽教育をしていない私としては何も偉そうなことは言えないですよ(汗)。
ただ私としては、単に「平均律が嫌」なので、アップライトピアノなどをミーントーンにしたりしているだけの話し(そして「そうすることにより、ウチの子供らは、特に(大金&多大な時間を費やして)音楽教育を受けさせなくても『正しい音感が自然と身に付く』のでは?」と、密かに(?)もくろんでいるだけの話し)でして(笑)・・要は「楽したい(≒お金と時間を節約したい)」だけなんです、私(爆)。

平均律批判の話題になると必ず「絶対音感教育」の話題が出てくるのですが、私見では、ちゃんとハーモニー(つまり「相対音感」)の訓練をするのであれば、いわゆる「聴音」程度の訓練は全然OKなのではないか、と思えるのですが、実際どうなのでしょうかね・・。要は「音楽教育でハーモニーの訓練をしないのが致命的なのではないか」と思ってます。
余談:昔の人も「音叉の音程を体に覚え込ませる」くらいのことはしたのではないか、と推測(妄想?)しているのですが、どうなのでしょうかね。特に、ヴァイオリンのような自分で音程を作る楽器を嗜んでいる方は、「一つくらいは基準音が根付いていた方が何かと便利では?」と推測(妄想?)されるのですが。そう言えばヴァイオリニストの堀米ゆず子さんは、「自分は絶対音感を5つ持っている」というようなことを昔のインタビューで述べておられましたよ。

>ヴァイオリンは五度の響きで調弦していますが、自分の感覚に自信があるわけではありません。
・・・私もチェンバロの調律を専らチューナーに頼っていて、現在、純正5度はチューナーなしでも何とかなるが「正直、純正3度だけはチューナーがないとどうにもならん(泣)」という感じです。全く情けないです(汗)。

>最近やるようになったハープも基準の音だけをチューナーにしてあとは感覚で調弦するほうがやりやすいように思っています。
・・・かく言う私も、最近フレンチ・ミーントーンを試していて、この音律は電子チューナーにプリセットされていないこともあり、特定の幾つかのキーを感覚だけで調弦する必要があるのですが、「やってみると何とかなる&チューナで合わせた場合より音程に愛着がわく(笑)」的なところはありますね。ただ、その幾つかのキーは「5度の唸りの調整」の箇所なので何とかなるところがあり、3度関係の音程はやはり鬼門です(泣)。
昔の鍵盤楽器奏者は、1/5や1/6P.C.狭い5度なども耳だけで合わせられたみたいですので、やっぱり未だ未だ自分は修行が足りないなぁと実感させられますね(汗)。

>REIKOさんからも純正律を勧められました。
・・・あははは、さすがはREIKOさん(笑)。

by koten (2011-01-10 23:14) 

Cecilia

うちの娘たちが受けたメソッドでは絶対音感訓練がある程度進むと相対音感訓練もしています。次女はある程度まで進まなかったのですが、長女は相対音感訓練もやりました。
いろいろな音律を意識的に使うには音感が必要だと思います。
私は鍛えられてないのでよくわかっていません。(涙)
勉強します!
by Cecilia (2011-01-11 08:20) 

koten

Ceciliaさん、再コメおおきにです。

なるほどぉ~、絶対音感訓練の後に相対音感訓練ですか。確かにその方が子供にはとっつき易いかも知れませんね(絶対音感≒単なる暗記的なイメージがありますし)。ただ、その場合、(私もそうでしたが(汗)、)途中でドロップアウトすると「中途半端なまま音楽人生が終わる」という仕組みですよね(汗)・・・これはあれですね、早退者は「相対」ならぬ「早退」音感しか得られないってやつですね(爆)。いやいや、笑い事じゃないのかも知れませんが(汗)。
相対音感の訓練って、絶対音感に比べると難しいのでしょうかね・・・難しそうなイメージがありますねやはり(←自己完結している私(汗))。「相対音感の訓練が嫌になって音楽を辞めるよりは、とっつき易い絶対音感の訓練をとりあえずやっておこう」っていう方針なのですかね今の日本って。

相対音感の訓練を出来るだけ親しみやすく行う訓練方法(○○メソッド)ってないのでしょうかね・・・「ユニゾン」⇒「オクターブ」の歌唱法の訓練くらいなら、子供でも出来そうなものですよね。次に「純正5度」、これも(誤差2セントの平均律による)現代社会なら難なく出来そうな気もします。「純正5度」が可能であれば、下の音を1オクターブ上げて出せる「純正4度」だって可能ではないでしょうか。 とすると、やはり最後の関門(鬼門)は「純正3度」ってことになりそうな気がしますね。3度音程は「不完全協和音」と呼ばれるように、「妙に懐が広い」ところがありますしね(汗)。

今これを書いていてふと思ったのですが、3度音程の「不完全協和音」の意味は、『「不完全すなわち純正からある程度外れた」和音であっても(あたかも)「協和」して(いるように)聞こえる和音』って意味じゃないですかね、もしかして(?)

>私は鍛えられてないのでよくわかっていません。
・・・上記のように、私もマダマダですわ(汗)。

>勉強します!
・・・おぉ、その決意、シカと受け取りました(笑)・・お互い強く生きていきましょう!∀(*ToT)人(T-T*)∀(爆)
by koten (2011-01-11 12:30) 

REIKO

うおおお~~~!?
コメント欄が異常に賑わっている、これは一体どういうことなんでしょうか!?(笑)
もう私の出る幕がない???_| ̄|○
「幼稚園の音楽教室では、イス取りゲームが唯一の楽しみだった」「個人指導を受けたピアノはバイエル2番でヤメた」その後「NHK教育の『ピアノのおけいこ』が先生だった」「中学の部活で先輩から弦楽器を教わった」・・・だけの自分は、「まともな音楽教育」をほとんど受けていないし。
DTMで作曲やアレンジもしますが、すべて「大体音感」(爆)で切り抜けとります。
しかし音感って「訓練」で身につくものなのか、その辺が大いに疑問ではありますが・・・。
「作曲」に関しては、出来る人は最初からそこそこできるし、出来ない人はいくら「勉強」してもダメだと思います。←これはたぶん正しいかと。

ところで平均律の「広すぎる長三度」ですが、確かに「和声」としてはちょいと(大いに?)厳しい感がありますが、旋律としては華やかで好ましい面もあると思うんですよ。
それよりも私が気になるのは、広すぎる「ド-ミ」に対して、「ミ-ソ」が狭く、「上がつかえてる」ように聴こえることです。
モーツァルトのK.545第一楽章の冒頭旋律、ド~ミソ・シ~ドレド♪の場合、ド~ミのミが高いのに応じてソも「高め」であれば素敵なんですが、ソが低く(実際はドに対して2セントしか低くないが、高いミの後だとものすごく低く聴こえる)て「超カッコ悪い」です。
この点ミーントーンは、平均律よりも(ドに対して)低いソにもかかわらず、ミがそれ以上に低いため、結果的に旋律「ド~ミソ」がバランス良く聴こえます。
私的には和音の純正云々よりも、こちらの「旋律問題」の方が、「平均律ピアノ」の重大な欠点に映りますね。
特に初心者向けの簡単な曲で旋律が「音痴になる」と、救いようがないです。
⇒人によってはこちらの問題を指摘した方が、すぐに分かってもらえるかもしれませんよ。

Ceciliaさんが最近手に入れられた「サウルハープ」は、その気になれば色々な音律が試せるし、やったなりの効果も上がるのでは?と思います。
元々そんなに複雑な曲を弾く楽器ではないので、純正優先の音律の方が聴き栄えがするでしょうね。
by REIKO (2011-01-11 17:09) 

koten

REIKOさん、いらっしゃいませ、お待ちしておりました(笑)

>コメント欄が異常に賑わっている
・・・うふふふ、これぞ正に 『ミューズたちの語らい(L' Entretien des Muses, by J.P.ラモー)』 みたいでしょ?(笑)

>これは一体どういうこと
・・・ネガティブ記事の場合にはコメントレスを極力丁寧に書いた方が良いかも(汗)、という(ある意味臆病な)持論に基づいてレスを書いてみました(私、偉い?(爆))。

>もう私の出る幕がない???
・・・とんでもありませんです、『ミューズたちの語らい』の世界へようこそ!(笑)

>作曲やアレンジもします
・・・作曲出来る方って凄いですよね。私もチャレンジはしているのですがこれがナカナカ(汗)

>音感って「訓練」で身につくものなのか、その辺が大いに疑問
・・・多少「妄想」が入っているかも知れませんが、バロック時代は凄く厳しい音感実習訓練がなされていた旨の記事をどこかで読んだ記憶があります。何たって、バルヴ無しのナチュラルホルン、シンプルな穴が空いているだけの各種管楽器、調律が凄く面倒なリュートやガンバなどの撥弦楽器や鍵盤楽器、その一方で、電子チューナーなど勿論無く(そもそも電気すら無いし(汗))、更にはもの凄い種類の調律の考案数&音律の話題で毎日のように議論白熱っていう世界ですからね・・・。これ書いていて何だか当時が凄く羨ましく思えて来ましたよ(笑)。
 なので、音感を身につけるには、もしかしたら相当ハードな訓練が必要なのかも知れませんが、訓練次第で必ず身につくものであると私は信じてます。
 逆に、現代は電子チューナーやら各種音程微調整機能やらで「恵まれすぎている」状態にあるがために、却って音感体得のチャンスが失われている的な側面があるような気もします。

 ただ、現代の電子チューナーでは例えば(2つの和音を鳴らした時に、純正3度から外れているか否かを判定する)「純正3度音程支援機能」が内蔵されているものもあり、昔は楽譜さらには紙ですら「貴重品」だったのに対して現代では手軽に入手できる(&楽譜を塗るための色ペンだって多種類が用意されている)こと、現代は電気を初めとしてCDとかインターネットとか色々な便利な道具が用意されていること、などからすると、総合的に見ると現代は、「工夫次第で昔とは比較にならないほど楽に実力upできる」時代であるはずなんですよね。

 結論的には、要は「本人のやる気次第」なんじゃないですかね・・。今まで生きてきた経験則からしますと(汗)、例えば、この現世の煉獄界(笑)では、「どんな苦労してでも私はこの曲を弾けるようになりたいんだぁ~!!」という魂の叫びの発動、もの凄くピュアな心に「改心」した時に初めて弾けるようになる曲ってあると思うのですが(私にとってはギターの各種トレモロ曲、バッハのフーガなどです。)、音感訓練においてもそういう「ピュアな心」になれるかどうかが鍵なのではないか、などと思ったりもします。

>「作曲」に関しては、出来る人は最初からそこそこできるし、出来ない人はいくら「勉強」してもダメ
・・・これに関しては私は少し違う立場です。
 イメージ的には、「平均律の体質が抜け切らない内は「調性(和声)」音楽に関してはナカナカ上手く作曲できない」(←それ故に「現代では昔のような大作曲家が現れることは無いだろう」と巷で囁かれる)が、それからある程度脱することが出来れば作曲できるようになる(に違いない!)という立場です。
 小生、(電子オルガン時代の)幼児教育で「作曲の宿題」が出されたことがあり、同世代の周りの女の子達は立派な曲を作ってくるのに、私だけ出来なかった(泣)という、余り思い出したくない悔しい思い出があります(汗)。今思うと、これについても「みんな平均律が悪いんや~!」というのが(←つまり、決して自分の才能の無さのせいにはしない&全て平均律のせいにするのが)「koten理論」です(爆)。
 逆に言うと、平均律体質であっても作曲出来てしまう少女達って凄いなぁと思います(言い換えると「脳の男女差?」を凄く感じます)ね。

 で、結論としては、
>「作曲」に関しては、出来る人は最初からそこそこできる
という意見には激しく同意しますが(笑)、
>出来ない人はいくら「勉強」してもダメ
 という意見にはどうしても同意できないものがあり、これに同意すると私のアイデンティティ(この世における存在意義)が否定されてしまいます(爆)。

 古典音律は「それ自体で既に音楽」なのであり、古典音律の楽器(それこそCeciliaさんのハープ(笑))を適当に(いじって)弾いているだけで「曲になる」のが「音楽本来の姿」ではないかと思うのです。さらには、古典音律、特にミーントーンを体得すれば、「調性(和声)」音楽の曲は自ずと作れるようになる(はずだ!)、というのが私の持論です。
 ですので、今後の目標としては、自分で曲と作って発表することも視野に入れております。「古典音律を真面目に勉強していれば幸せになれる(はずだ!)」という持論をどうにかして(この世に存在している間に)実証してみせたい、というのが根底にあります(笑)。

>平均律の・・・広すぎる「ド-ミ」に対して、「ミ-ソ」が狭く、「上がつかえてる」ように聴こえる
>実際はドに対して2セントしか低くないが、高いミの後だとものすごく低く聴こえる
>ミーントーンは、平均律よりも(ドに対して)低いソにもかかわらず、ミがそれ以上に低いため、結果的に旋律「ド~ミソ」がバランス良く聴こえます。
>私的には和音の純正云々よりも、こちらの「旋律問題」の方が、「平均律ピアノ」の重大な欠点に映りますね。
・・・なんと! これは感じたこと(&考えたことすら)無かったです(驚!)
 旋律問題は、ピタゴラス音階が最も堂々としていて伸びやかで歌いやすく、逆にミーントーンは全音や5度が狭いので(歌うのに)窮屈な感じがあるのではないか、くらいにしかイメージしていなかったのですが、、、、これは目から鱗ですね。

>人によってはこちらの問題を指摘した方が、すぐに分かってもらえるかも
・・・うーむ、小生、旋律問題は特に勉強不足なので、これを他人に伝えるのにはもう少し自分の頭を整理することが必要かなと感じてます(汗)

 いやぁ、しかし皆さん、色々なことを感じていらっしゃるんですね。勉強になります&この記事書いて良かったです(笑)

by koten (2011-01-11 21:56) 

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