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WMとKBの「第3」の悲劇~秋の夜長のミステリー~ [音律(調律)の基礎知識]

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WMとKBの「第3」の悲劇~秋の夜長のミステリー~

 A.ヴェルクマイスター(1645-1706、独、以下「WM」)の考案した音律である第1技法第3番(いわゆる第3法、以下「WM3」)とJ.P.キルンベルガー(1721 - 1783、独、以下「KB」)の考案した音律である第Ⅲ(以下「KB3」)を以下に比較してみる。

要点:
 どちらも「第3」だが意味合いが違う。
 一見、内容が似ているようで実は結構違う。
【共通点】
 ①純正5度(ピタゴラス5度、周波数比2:3)が沢山ある(KB3は7個、WM3は8個)。
 ②狭くした5度の内、C-G、G-D、D-Aが狭い点では共通する。
 ③完全純正和音(周波数比4:5:6)が一つも無い。
 ④純正短3度音程(周波数比5:6)も無い。
 ⑤「12の調のいずれでも演奏可能」と一般には言われている(ようだ)。
   ※但し、ローランド社の最新の電子チェンバロ(C-30でしたっけ?)の説明書では、「WM3は12の調すべてで演奏可だが、キルンベルガー第3はハ長調以外は厳しい」というようなことが書かれていた(と思う)。当時キルンベルガー贔屓だった私は思わず「むっ!」ときたので強く印象に残っているのだ(笑)。
 
 (訂正)いずれも、C♯・D♯・E♯(=F)・F♯・G♯・A♯・H♯(=C)・C♯がピタゴラス音階になる・・・と昨日書きましたが、違いますねこれ、すみません(汗)。
 WM3はピタゴラス音階になりますが、「KB3」は、F♯-C♯の5度にスキスマを配置してしまったため、ピタゴラス音階によるドレミファソラシドを生成するのに必要となる「6つのピタゴラス5度の連鎖」に一つ足りないんですね・・(ちなみに「KB1」、「KB2」ならば、C♯からDまで7つのピタゴラス5度を積み重ねるので、G♯ベース及びD♯ベースによる2種類のピタゴラス音階ができます(ですよね皆様?))。
【相違点】
 ①WM3は、ピタゴラス・コンマ(約24セント、531441/524288、以下「pc」)を4分割して4箇所の5度に配置している。
 ②KB3は、シントニック・コンマ(約22セント、81/80、以下「sc」)を4つに分けて4箇所の5度に配置し、スキスマ(約2セントの余剰値、32805/32768)をfis-cis間に配置した。
 ③WM3には純正長3度が全く無いが、KB3には純正長3度がある(c-eの一つだけだが)。
 ④WM3ではC♯ベースでのピタゴラス音階(ドレミファソラシド)ができるが、KB3では出来ない。

【音律に対するWMとKBの考え方、価値観等の違い】
【分割基準、比率に対する価値観など】
 WMは、徹底した「pc分割」主義といえる。「sc(単純整数比)+スキスマ」を考慮しておらず、結果的に、和音の「比率」に対するアプローチに欠けている。
 補足:(下記サイト参照。至る所にルート記号が出てくる(汗)。このルート記号はヴェルクマイスターの意図したもの(理想像=イデア)とは思われないが、結果的に狭い5度のイデアが「無理数」になってしまっている。 以下は私見だが、それが故に、WM音律の狭い5度は「耳障り」であり、この5度を美しく調律するのには相~当に高い技術が必要であると感じている。少なくとも私には無理だ(泣)、、各5度の唸りの数を聴いて、どうにかして整数比に丸め込んだりする技術が必要なのではないか。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Werckmeister_temperament
 これに対して、KBは、一貫して「比率(整数比)」を重視している(すなわちイデアが有理数)。
 補足:上記のように、scはpcに比べるとシンプルな整数比であって、スキスマの方は複雑な比率となっている。scを4等分して配置したミーントーン5度は無理数(1.49534878122・・・)のようだが(野村満男著「チェンバロの保守と調律」第151頁を参照)、後述のように、キルンベルガーは、scを4等分にはせず、4カ所の5度をあくまで整数比で構成しようとした。
 スキスマについての私見:スキスマは、上記のように非常に複雑な比率ゆえ本来「ノイズ」の要因なのだが、約2セントと小さい値なので、これを5度内に組み込んでもそれほど耳障りにはならないと理解すべき、と最近考えるようになった。少し前までは、スキスマ=「長3度を純正に近づけるための『ありがたい貴重な2セント』」と位置づけていたが、人間変われば変わるものである(笑)
 以前、とあるサイトで「(pcを分割する)1/6分割法(ヴァロッティやヤング)と、(scを分割する)1/6ミーントーンと、では全然違う。後者の方が美しい!」というような記事を拝読したことがあるが、これはこういう意味だったのかぁ!(凄く納得&恐れ入りましたm(_ _)m)と改めて感じた次第である。(※補足:ただ小生、両音律の違いを未だ実際に試していないので、いずれは実験する必要があろう。音律論者は往々にして、このように実験の裏付けなしに発言することがあるので、読者は注意が必要であり、決して全てを鵜呑みにしてはいけない(笑)。結局、信じることのできる最後の拠り所は、他でもない自分の耳(音楽的な素養や経験等に裏付けられた聴覚)なのである。)

【純正長3度】
 WMは、発表した音律で純正長3度をことごとく放棄している。これに対して、KBは、発表する毎に純正度が低い妥協的な音律となって行ったが、それでも最後まで純正長3度を放棄しなかった。(但し、「第3」にすることで、ピタゴラス音階、ドミソ等の完全純正和音、純正短3度のいずれも失われてしまった。)
【vsミーントーン】
 両者ともミーントーン(中全音律)に対抗ないしこれを打破する音律(全ての調で演奏可能な音律)を作ろうとした姿勢が伺える。
 キルンベルガーは、「純正作曲の技法」中でミーントーン(中全音律)に全く言及していない(ミーントーンが好きでなかったのか?)。しかしながら、第3を発表することで、KBは結果的に大衆のミーントーン人気に「屈した」形になったと捉えることもできるのではないか(一種の敗北宣言?)。

【「第3」による悲劇】
 WM「第3」の普及によって何が起こったか?
 WM「第3」の(6セント狭い)耳障りな5度により、『受忍限度5度』の基準がここで確立されてしまったのではないか。
 言い換えると、純正律(Just intonation)やキルンベルガー第1などの22セント狭い(D-A)5度、キルンベルガー第2の11セント狭い(D-A)5度は、「あの(6セント狭い)WM3よりさらに狭いんだから、これは『試すまでもなく』聴くに堪えない(に違いない)」というイメージが植え付けられてしまったのではないか。
  ⇒私はこれを『Wの悲劇』と呼びたい(笑)。

 (補足:「純正作曲の技法」中でKBは、5度の受忍限度は「半コンマまで(←ここでは1/2sc(約11セント)の意である。)」ということを述べている。蛇足で言うと、KBは、この記述で、D-A、A-Eがそれぞれ半コンマ狭められた「KB2」の正当性を強く主張しているのだが、それと同時に、D-Aが1コンマ狭められた「KB1」を自己否定(少なくとも間接的に自己批判)してしまったことになる。)

 しかし、純正律及びキルンベルガー1,2などの狭い(D-A)5度は、「整数比」である。
   キルンベルガー1の狭い(D-A)5度の周波数比は、27:40
  (40/27=1.48148148・・の循環数である。)
   一方、キルンベルガー2の狭い(D-A)5度の周波数比は、けっこう複雑な比である(と書いてお茶を濁す(汗)・・・ちなみに「純正作曲の技法」中でKBは、「第2」におけるAの音程は、(Cの周波数を1として)「270/161」と定義している(同訳本(東川清一訳、春秋社)の第18頁参照)。つまり、長6度のC:Aの比率が161:271である(純正音程だと3:5)。
 とすると、・・・・ええとですね(汗)、「第2」におけるD(9/8)とA(270/161)の比率は、
(9×8/8):(270×8/161)だから、
 9:(2160/161)になって、これは即ち、
(9×161):(2160×161/161)になって、
1449:2160だけど、これはどちらも9で割れるから、
161:240か・・・これで合ってるよね(汗)。結構シンプルかも!(笑))

 (蛇足:上記のように、KBは、数の比率を非常に重要視しているのですが、一方で、「純正作曲の技法」中で、大全音(「8:9」の比率)には「協和性」が認められ難い旨を述べているんですよね・・・これはちょっと書きすぎじゃないか(ぷんすか!)と思うのは私だけでしょうか?(小生、最近になり、「大全音の音程は非常に美しい」と思えるようになりました。) これに対して、エマヌエルバッハの曲には、あたかも「この記述を批判しているのでは?」と思えるような書法が結構出てくるんですよね・・・これ、分かる人には分かりますよね?)

 それと、下記参照サイトにもあるように、ヴェルクマイスター自身は、白鍵の多い曲ならば「第3」ではなく「第2技法4番」を使うべき旨を示唆しているにも関わらず、現在では「第3」がオールマイティな音律として扱われ、WMの他の音律は全て忘れ去られてしまったのも、ある意味「悲劇」といえるのかも知れません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1229648842

 KB「第3」の普及によって何が起こったか?
 上記WM「第3」の悲劇と相まって、より純正度の高いKB「第1」「第2」の存在が完全に忘れ去られてしまった。特に、KBが「純正作曲の技法」中で「最良のもの」と力説している第2の存在が忘れ去れたのみならず、「純正作曲の技法」中に書かれているのは「第3」であるとの誤解まで広まってしまった。これは悲劇以外の何ものでもないでしょう。

 【補足】:それと、上述のように、「第3」ではC-G-Dの5度も純正で無くなってしまったため、これによりピタゴラス音階も無くなってしまったのは悲劇ですよね。あと、第3音律を最初に提案した1779年のフォルケルへの手紙での提案は、4つの5度が「ミーントーン5度」じゃなかった可能性がありますね。下記は、ケレタートの「音律について(下巻)」の第213頁です。(「5度の縮小」の所をご参照あれ!)
IMG_4676.jpg

上記のように、4つの5度の縮小度が「不均等」になっていて、D-Aが一番狭く、C-Gが比較的純正に近いですよね・・・もしかしてキルンベルガーは、自分の音律が「ミーントーン化」することに最後まで抵抗したということでしょうか(?)。 ちなみにケレタート著「音律について」の上巻では、キルンベルガーが提案した各5度の比率値が明記されております。

IMG_4682.jpg

 これら各5度の広狭度も計算で確認せなあかんですかね(汗)・・・いやぁ、面倒ですわこれ(泣)、、、音律研究って大変でんがな(自爆)。

 話しの落ちとして、KBの「第1」「第2」は本当に使えない音律なのだろうか?というところまで言及したかったのですが、そろそろ制限時間がやって来ました(泣)。と言うわけで、今日は「秋の夜長の「第3」の悲劇」を書いてみました。

 それではみなさま、良い芸術の秋を!

【補足】:ケレタート著「音律について」の上巻の第59頁では、
 『自分の<<正しい作曲技法>>はバッハの理論であるというキルンベルガーの主張は、キルンベルガーによって提示された音システムはバッハのものであるということを意味するが、この主張はバッハの作品の音程を分析することによって、真実であることが証明された。』
 とか、色々書いてありますね。 これが本当だとしたら、鍵盤楽器奏者は、「キルンベルガー第2をもっと研究せな、お話しになりまへん!!」ってことになりますがな。 あんはん、こりゃあ、えらいこったっせ~!!

 というわけで、最後にキルンベルガー「第2」による演奏upをそっと加えておく私でした(笑)。

http://www.youmusic.jp/modules/x_movie/x_movie_view.php?lid=6046

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